藤純子の緋牡丹博徒シリーズ最終作。
シリーズ第8弾。
1971年の東映映画。
監督は斉藤武市。
いやー、昔にしたら短いのか。
今、8作品も映画で続編やるのってないっすよねえ。
昔は映画が娯楽の中心だったんだなあ。
こういう60年代70年代のシリーズものを
見るとしみじみ感じます。
いったい何本あるんだっていう
長期シリーズがけっこうありますね。
スター候補を主役にすえて
何本も作ってスターにしていく。
邦画の黄金時代のスターにオーラがあるわけだ。
富司純子の微妙な歌声による主題歌も
この作品で聞き納めと思うと
味わい深いです。
今作は最終作なだけにストーリーも
俳優たちの演技も完成度高かったように思います。
出演者たちの顔つきが大人。
大人の渋みが出てきてる。
藤純子もシリーズの最初のほうは
まだ青い感じがしましたけども
今作では貫禄がけっこうありますね。
お話は清川虹子の組の跡目争いの話になってます。
シリーズを通して藤純子を助けてきた
大阪堂満一家の女親分清川虹子が病の床につき
組を誰に継がせるかでもめる話です。
ヤクザものにこのパターンって
けっこう多くないですかね。
後継者指名でもめる話。
代貸の待田京介は
当然自分が後継者に指名されると思ってる。
このシリーズではけっこう活躍してましたし、
組への貢献度を考えれば
当然俺だろって。
でも、分家の松方弘樹が後継者に指名されるのです。
松方弘樹が夫婦になろうと思ってる女芸者は
実は清川虹子の隠し子。
日陰暮らしをさせてしまった子供への
罪滅ぼしなのか清川虹子は
松方弘樹を指名しちゃうんすよねえ。
義理を重んじる渡世で
情に流されて後継者決めちゃったらもめるよなあ。
松方弘樹も悪い男じゃないんすけど、
待田京介はいい気がしない。
富司純子が親分の気持ちをわかってやってくれとか
縄張りを残してくれたじゃないかとか
組長の枠は1つしかないとか
なんとかなだめようと言うけども
逆に待田京介の気持ちを逆なでしてしまう。
そりゃそうですよねえ。
ここまでやってきた俺は松方弘樹より
劣っているというのか……って腹も立ちますよね。
認められて当然と思っている人間が
認められてなかったと思ったときの憤りは大きい。
それで待田京介は敵になるんすよ。
堂満一家に敵対する組を後ろ盾にして
松方弘樹に襲い掛かる。
これまでのシリーズで藤純子側だった
待田京介が敵となるとは切ないっすねえ。
今回のゲスト侠客である菅原文太と
シリーズおなじみの若山富三郎と
藤純子の3人で最後の殴り込みに行きます。
見届け人は片岡千恵蔵。
片岡千恵蔵と言われても
誰?このおじいさんって感じなんすけど、
映画黎明期からの大映画スターっすよね。
言うなれば映画の大親分ってとこですかね。
よく知らんけど。
まあそれで、菅原文太は倒れるのだけど
待田京介と敵対する組長は討ち取ります。
敵の組長なんかもう斬られて倒れていくところを
藤純子が鬼の形相で追い打ちで2回切りつける。
オーバーキルじゃないかみたいな。
殴り込みは決まったけども
菅原文太を失い、
もう松方弘樹はいないし、
かつての仲間だった待田京介も手にかけてしまった。
何も残らないむなしい戦いだったという
物悲しい最後ですね。
仁義通しますという題名なんすけど、
元はといえば、清川虹子が仁義を通さず
情を通したためにおきたもめごとのように思いますね。
人情、情けは美しい、尊いというイメージがあるけども、
情を押し通したがために起きる悲劇のほうが
圧倒的に多いような気がする。
清川虹子が最期の時まで渡世の仁義を通していれば、
跡目は待田京介でもめごとなかったかもしれんし。
藤純子も清川虹子の親心に酔ってしまって
待田京介の気持ちを軽く見てたのも良くなかったんすねえ。
シリーズ最終作にして
主人公側が義理より人情を優先して
悲劇に終わるという後味の悪さが残る作品でした。
でも、できは悪くなかったです。
うまくエピソードが配置されてて
だれることなく見れたように思います。
これまでのシリーズではけっこうダレてるのもあったけど
これはテンポもよくてけっこう好きかなあ。
動画:緋牡丹博徒 仁義通します