そういうのを1回じっくり読んでみるのもいいかもなあと思って。松本清張の「砂の器」もそういう作品のひとつでした。映画は好きなんですよねえ。橋本忍脚本、野村芳太郎監督の映画「砂の器」は好きでときどき今でも見返すことがあります。
原作小説のほうは読んだことなかったなあって思いついて読んでみました。
読んでみたら、小説と映画ではかなり違いがありました。映画は人情ドラマ、小説はミステリドラマ。いやー、映画は小説の骨格と要素をうまくまとめて再構築して人情にうまくまとめてあるなと感じました。
犯人の動機や刑事の捜査の大まかな流れは一緒。設定はけっこう違ってますね。犯人が音楽家なのは一緒なんだけど、小説のほうでは電子音の前衛音楽をやる音楽家。映画ではクラッシクの作曲家でしたっけ。
小説では犯人は若い芸術家たちのグループを結成してる。ヌーボー・グループとかいう、これまでの古い芸術を打破しようと活動する新進気鋭の音楽家、評論家、画家、演劇家、小説家などが集まるグループをやっています。
その中のメンバーがあやしい動きをして、読者にこいつが犯人か?と思わせるような書き方がされています。ミステリ小説のミスディレクションってやつ。犯人らしき登場人物をいろいろ出してきて、あやしい行動させて、犯人っぽく見せておいて、最後に種明かしで別の人間を犯人だと探偵役が指差す。
小説は文庫の上下巻2冊で読んだんすけど、1巻は刑事が泥臭くあちこち聞き込みにいったり証拠集めしてりして捜査する様子が描写されていて、骨太な社会派事件ものっていう趣です。
それが下巻に入ると奇妙な偶然で事実が判明したり、重要証人がおかしな死に方をしたりと、トリッキーな描写が主になってきます。仕掛けに凝ったミステリ小説っぽいムードになる。ここが小説と映画の大きな違いですね。
映画ではこういうミステリ小説っぽい奇抜な部分はばっさりとカット。刑事の執念の捜査によって、犯人の犯行動機、犯人の生まれの不幸、逃れられない宿命が明らかになるという人情のドラマに仕上げている。
もし原作小説どおりに映画化したらどうなっていただろう?かなり奇抜で奇妙な映画になってたんじゃないか。橋本忍監督の「幻の湖」のような作品になっていたかもしれない。
いやね、映画もたいがいおかしいなと思うような部分はあります。犯人の情婦が返り血をあびた服を細切れにして列車からまく、それを若い刑事の森田健作が探し出すとかね。小説でもそういうことになってましたが、けっこう無理あるじゃないかって思う。
普通にゴミの日に捨てろよ……とか思うし。
小説では、高周波をだす装置で人を殺すとかまでもやってる。これをそのまま映像でやるのはけっこう難しい。まあ、列車からまかれた布切れを時間が経ってから見つけ出すというのは、ぎりで刑事の執念の捜査だと思うことができるラインかな。
今回、小説を読んでみて、映画のほうがおもしろいし好きだなと思いましたね。小説は後半の奇妙さがどうも受け付けない。失業保険金額の書かれた紙が犯行現場らしき場所に落ちていて、その数字が実は高周波を使ったという犯人の挑戦状?みたいなものだったとか、よく意味がわからない描写もある。
刑事があちこちに情報を照会して、その結果を若い刑事を呼び出して、おでん屋や自宅でめし食いながら話て整理するみたいなのを数回やるのも垂れてしまう。
どうもミステリ小説的な、探偵小説的な仕掛けをやろうという意識が強すぎて、奇抜を通り越して奇妙な風合いになっちゃってる感じですね。連載小説だったので、強引にクリフハンガーを毎回つくろうとして苦労してるような感じもします。
でもつまらないわけじゃなく、けっこう楽しく読めましたけどね。小説版のおもしろさは、事件そのものよりも、登場人物たちの人間味のところにあるかも。
ヌーボーグループ内の嫉妬や陰口。年寄りたちをバカにしながらも、年寄の権力者にすりよることで名を成していく。新しい芸術だといきこんだところで、既成概念の外へはいけない。
犯人の音楽家・和賀英良とグループ内の双璧をなす売れっ子評論家・関川重雄が出てくるんだけど、こいつもなんか俗物っぽいところがいいですね。映画ではいなくて、犯人に統合されてるキャラ。
進歩的なこと言ってるやつなんだけど、やってることは、進歩的でもなんでもない。クラブの女を囲ってて、でも結婚する気はなくて、おれも音楽家みたいに大臣の娘みたいな大物をひっかけたいと思ってる。
水商売の女なんかつなぎでしかないと思ってて、頻繁に引っ越しさせて、関係がばれないようにしてる。女が妊娠して子供をどうしても産むとかいってきて、困って音楽家に相談して高周波で流産させようとするとかさ。かっこつけてるけど、裏ではカッコ悪いことしてるっていうね。
映画ではばっさりカットされているヌーボーグループ。そこが小説の魅力ですかね。映画のキャストが小説に忠実な映像化だったらどんな感じになるか夢想するのも楽しいです。
加藤剛が電子装置を操作して証人を消すとか、刑事の丹波哲郎が映画会社の試写室で予告編のフィルムを凝視するとか。小説を映画のキャストが演じてると思いながら読むのもなかなか楽しいですよ。