2013年の不条理ドラマです。
原作がドストエフスキーなんすね。
監督はリチャード・アイオアディ。
題名とかでは全然見たいと思わなかったけど、
ジェシー・アイゼンバークが出てるので
見ようかなってなりました。
確か「ソーシャルネットワーク」とかに出てる俳優じゃなかったっけ?
ミア・ワシコウスカも何かの映画で見たことある。
顔をどっかで見たことある俳優が
出演してると内容がどうかわからなくても
一応見てみようかなってなるもんですね。
映像の感じはカフカ的っていうかね。
閉鎖された陰鬱な世界で
暗い顔してつまらなさそうに働く人々が
毎日同じことして暮らしてるみたいな世界観。
東欧っていうか、ロシアっていうか、
共産圏の国のような雰囲気ですね。
でもどっか具体的な国や場所じゃなくて
架空の世界が舞台になってるようです。
SF映画みたいなムードもありますね。
ジェシー・アイゼンバーク演じる男は、
影が薄くて誰からも軽く扱われてしまうようなやつです。
性格も気弱で、他人に強く主張できない。
毎日通ってる会社でも
入館カードをなくしたら、毎日顔をあわせてる
はずの警備員に覚えてもらえてなくてとめられてしまう。
お店では注文したものじゃないものが
出てくることもしょっちゅう。
母親は老人ホームに入ってて
お金がかかっていつも財布はすっからかん。
そういう感じのさえない男なんすよ。
彼の楽しみというか、唯一の心のささえが
同じ会社で働いているコピー係のミア・ワシコウスカ。
仲良くなりたくて
コピーする用事を作って彼女のところにいって
少し話をしようとしたり、
今日こそは話しかけて仲良くなるぞと思うけど
うまく話かけられなくて
遠くから見てるだけになっちゃう。
彼女の部屋を望遠鏡でのぞいたり、
彼女の捨てるゴミをあさってみたりと
全然、彼女との距離は縮まらない。
いつものように望遠鏡でのぞいてると
男がこちらに手をふるのが見えた。
手を振り返すとその男は飛び降り自殺してしまう。
飛び降りた男は知らないやつだったが
彼女は知ってる男だといい、
ストーカーのようにつきまとわれて困っていたと話す。
ここでなんかもうこんがらがってきたぞってなりますね。
飛び降りた男は
ジェシー・アイゼンバーク自身じゃないのかって思える。
自分で自分が死ぬとこを見たのかなとか思っちゃう。
そんなある日、新入社員として紹介された男の顔を見て驚く。
ジェシー・アイゼンバークとまったく同じ顔と姿なんすよ。
ジェシー・アイゼンバークは
え?どういうこと?ってなるんだけど、
周囲の人間はまったく気にもしていない。
自分と同じ顔、姿のその男は、
ジェシー・アイゼンバークとは正反対の男で、
他人にいいたいことはきっちり言うし、
女をナンパすることなんか朝飯前、
仕事の要領がよくて
上司からできる社員として一目おかれたりする。
その男はジェシー・アイゼンバークをうまく利用して
仕事も女も何もかもうまくやってしまう。
それでジェシー・アイゼンバークはどんどん
追い詰められていって、狂気に走り出し……っていうね。
不条理理劇っていうやつですかね。
自分そっくりなやつが現れて
そいつはこうありたいと願う自分の姿をしている。
いや、こうありたいという願望というより、
本当の自分はこうなのにって思っている姿なのかな。
仕事で評価されて、女からも好かれて、
みんなから認められた存在であるべきなのに
どうしてそうならないのかという
現実と自己評価の乖離が男の精神をむしばんでいく。
いや、なんかわかりますね。
他人からもっと認められていいはずだみたいな心境は。
真面目に頑張ってるのに
世界はなぜもっと自分を認めてくれないのかみたいな憤り。
なんて自分はダメなやつなんだと劣等感にさいなまれる一方で
なんで自分を認めないのかと憤る気持ちもある。
そういう誰もが抱えるフラストレーションを
同じ顔したドッペルゲンガーが現れるという形で
ドラマにしてあるってわけですね。
劣等感と憤り、どっちが主で従なのかという葛藤。
気持ちの中でどう折り合いをつけて
決着をつけるのかという戦い。
自分自身の戦いになるわけですな。
まあ、でもちょっと観念的すぎて
おもしろい映画って感じはしなかったですね。
音楽に坂本九の上を向いて歩こうとか
ジャッキー吉川とブルーコメッツのブルー・シャトウとか
日本の歌謡曲が使われてたのが印象に残ってます。
動画:嗤う分身