「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とか「クローバーフィールド」とか登場人物たちが撮影しているという体裁の映像で構成される映画がかつて流行りました。POVとかモキュメンタリーとかファウンド・フッテージとかなんとか言われるやつ。この映画もそういうやつの系譜ですね。
でも、事件当事者の撮った映像だけで構成されているわけではなくて、その映像を見て解析する刑事たちのドラマパートもあるので、完全な疑似ドキュメンタリーというわけではありません。
なんか見終わったときの感覚は、「ユージュアル・サスペクツ」に近かったなあ。刑事が悪党のホラ話にのせられてただけっていうね。刑事は事件の核心に迫っているつもりだったけど、実は悪党の用意したでっち上げにうまくのせられていただけで、何もわかっていなかった。
最後に犯人がしてやったりでニヤリみたいな。刑事の徒労感、犯人側のうまくやってやったぜという軽やかさの対比。刑事は本気で事件を解き明かそうとしているのに、犯人側は単なるゲームとしてしか思ってない。
こんな残虐なことやる犯人は許せない!って憤って、刑事は頑張る。そして解決までたどり着けたって思ったところで、最後にぜんぜんですよ~、あんたたちの負け、うちらの勝ちっていう犯人側の勝利宣言がきて終わり。
この後味の悪さね。「ユージュアル・サスペクツ」はミステリーとかサスペンスとか思うとそんな名作でもなんでもないんだけど、後味の悪さ、刑事の徒労感、ただの間抜けでしかなかったという絶望感のところがおもしろい話。
核心に近づいていると思ったら、全然近づいてなかったというどんでん返しがおもしろい。
このエビデンス全滅も殺人鬼の正体がどうとか、事件の真相がどうとかは、極端に言えばどうでもいいといえばいいです。犯人がわかってもとくになんともないので。うわー、意外だったあとか、悲しきドラマがあるとか、そういうの全然ないので。
ただ、ゲームとしてこんなことしただけで、刑事たちがそのゲームにまんまとはまりこんで翻弄されただけだったという徒労感。そこが面白かったです。
刑事が手がかりを見つけてそこを緒に犯人にたどり着いて、やったぜ、事件解決だってほっとしたところに、犯人側がそうじゃないよと種明かし。犯人が上手で刑事の間抜けさが浮き彫りになって終わるっていう後味の悪さが心地良い。
映像は焼け残ったカメラとかスマホとかから回収したという体裁なので、画質が悪かったり、突然音がおかしくなったりでうっとうしいですけど、適当に流し見でいいんじゃないすかね。
この映像がこうだから、あれがこうで、あいつがこうなのかみたいな、犯人探しみたいなことは一切考えずに、ただ時間の経過に身を任せて見るのがちょうどいいです。そして刑事と一緒に徒労感を味わおう。