戦争に突き進んでいく時代の日本が舞台。役所広司は国の検閲官。巷で上演されている劇の脚本をチェックして上演可か不可を判定するのが仕事。お色気、反戦、自由思想、権力批判、そういうのがあると全部削除。
稲垣吾郎は劇団の座付き作家。浅草の劇団の脚本演出家です。喜劇をやってる。まあそれで稲垣吾郎が役所広司に脚本のチェックをうける7日間のやりとりを描く話です。
役所広司と稲垣吾郎が部屋でやりとりするシーンがほとんど。密室でのコメディでさぞかし笑えるんだろうと期待して見るとがっかりしちゃうかもしれないっすね。そんなめちゃくちゃ笑えるというところは別にないですから。
笑えて面白いというより、ああ、なんかわかるなあみたいな。じわ~っとしみてくる感じ。後半めっちゃシリアスドラマな話になりますし。役所広司は演劇にまったく興味がない堅物。それが稲垣吾郎の台本を読み、直すのを手伝ううちに喜劇の魅力に取り憑かれていく。
おもしろいというのはどういうことかみたいなのを突き詰めることになって、その面白さの探求の快感にとらわれていく。劇団に入って演劇にはまる人ってこういう感じなんだろうなあみたいな。
おもしろいこと考えて、それを自分で演じて、どうやって見せたよくなるか演出考えて、それを舞台で観客に見せて反応が返ってくる。これは中毒になる快感があるでしょうね。
役所広司は夢中になっちゃいます。検閲官の仕事として無理難題を言えば、削除に応じて上演許可をとるか、削除を受け入れずに上演しないかで、脚本家は諦める。でも稲垣吾郎は諦めずに無理難題に応じて毎日毎日台本を直してくる。
ここはこうじゃないか、これはどういうことなのか、台本を読み込み、あれこれ口を挟むことで喜劇というものにのめりこんでいく。楽しくなってきちゃってんの。稲垣吾郎にあなた笑いのセンスありますとか言われて満更でもない役所広司。
最終日、台本の直しが完成し、役所広司は上演許可を出すんだけど、なぜここまで稲垣吾郎が頑張って食い下がったのかの理由を聞いて許可を取り消す。自分にとって検閲に屈せずどうにか自分の思う喜劇を書くというのが、権力に対する自分の戦い方なのだと稲垣吾郎が言う。
それ聞いちゃうと許可はできないと、それまで打ち解けていたんだけど、お互いの立場を思い出し、笑える場面は全部削除するから、笑いのない喜劇の台本をもってくるように言い渡す。
笑いを全削除ということは、事実上の不許可なんすけど、翌日稲垣吾郎は全編笑いを散りばめた台本を提出する。赤紙が来て稲垣吾郎は戦地に出兵することになったのだ。だからもう検閲を気にしても仕方ない。
どこもかしこも笑える素晴らしいこの台本を上演するために、生きて帰ってこいよ、お国のために死ぬなんてダメだぞと稲垣吾郎を見送る役所広司。
終わってみれば反戦映画だった。お国のために死ぬ、戦争に不必要なものはいらない、戦争に突入していく日本をそういう空気が覆っていく。そんなとき真っ先にいらないとされそうなのが喜劇。人々を笑わせること。
いつも笑顔でいられることの幸福さ。この話、役所広司と稲垣吾郎の二人が主役のようで、主役は役所広司ですね。役所広司の心の変化を描くことがメイン。