ミザリーシリーズは売れてるけど、もうジェームズ・カーンは飽きてて、別の作品に取り掛かりたいと思ってる。それでミザリーを終わらせる最終巻を雪山のロッジホテルで書き上げる。その帰りに吹雪に巻き込まれて自動車事故をおこす。
そこをキャシー・ベイツに助けられる。足を複雑骨折しててベッドから動けない。彼女がいうには電話は不通、道路も雪で動けない。しばらくはわたしが看病するわって。わたしあなたの書いてるミザリーシリーズの大ファンなのって。
死ぬとこだったけど助かった~って思ってたらだんだん雲行きがあやしくなっていく。最初はキャシー・ベイツはいい人に思える。謙虚で作家を神のように崇めてる。それが完成原稿を読んで一変する。
ミザリーを死なせるというラストに憤慨。そんなことするなんて許せないと激怒です。ファン心理っていうやつですかねえ。作者よりも自分のほうが作品に近くなってる。好きだという感情が危険なのがよくわかる。
そっからジェームズ・カーンがどうやってこの状況から脱出するかもがくのを描く。まあ脱出サスペンスとしては普通におもしろくて楽しめます。キャシー・ベイツの演技もいいんだけど、どうもなあ。
彼女は看護師なんすけど、疑惑の看護師なんすよ。過去に何度も彼女の周辺で不審死が起きてる。彼女が邪魔者だと思った人物が謎の死をとげる。それで裁判とかになってて、新聞記事にもなってたりするような人物。
だからかなり危ない人っていう設定なんすよ。そこがいまいちなんだよなあ。狂信的なファンが作者を思い通りにしようとするっていう恐怖じゃなくて、連続殺人鬼に監禁された人の恐怖っていうのが一緒になってしまってて、ファン心理の怖さを描くという部分が弱くなってる。
キャシー・ベイツは普通の平凡な女性という設定だったほうが、怖さがましたと思うんすけどねえ。どこにでもいるような普通の人なのに、ミザリーのことになった途端、強烈な執着心で作者を思い通りにしようとするほうが怖い。
普段は常識的で普通なのに、推し活とか言うと平気でおかしなことしだす人。それがおかしいと気が付かない人のほうが怖くないすか?ミザリーはそういう話だと思うのに、なぜキャシー・ベイツをただのサイコ殺人鬼設定にしてしまったのか。
キャシー・ベイツはこの役でアカデミー賞とったんでしたっけ。自分で喋ってることに自分で興奮していく感じの演技はたしかにうまかったね。