ラジオ局でのラジオドラマの放送を舞台にしたドラマ。もともと演劇だったのを映画にしたらしいです。主婦で新人シナリオ作家の鈴木京香の台本をやることになるんだけど、声優たちのわがままで設定は変更に次ぐ変更、整合性を無理にとろうとしてストーリーや舞台も変更になっていく。
はたしてラジオドラマは最後まで無事に放送できるのかっていうのを見せていきます。脚本家はいろいろ考えて全体の計算をしてキャラクターや展開を書いているのに、現場の人間たちの思いつきで簡単に変更されて我慢ならない。
現場の中間管理職は上司のご機嫌伺いと現場のスターのご機嫌伺いに終始して自分の意見なんかまったくもっていない。事なかれ主義でとにかく陽気にやろうよという人もいれば、スター扱いされないことでへそを曲げて嫌がらせをする人もいる。
放送が無事にすめばそれでいい、内容のことはどうでもいいという責任者。とにかく仕事が早くて融通がきく便利屋がいたり、お払い箱になってた昔の職人が活躍したり、これラジオ局のラジオドラマ放送という設定だけど、どんな仕事でもこういう人がいてこういう状態あるなあって感じがして普遍的なドラマとして見れました。
大勢が一つのプロジェクトにかかわって、いいもの作ろうと集まっているはずなのに、プロジェクトのことそっちのけで組織内でのマウント合戦になっていくというね。人が集まる所ではどこでもこういうことあるなあみたいな。
そういうあるあるおもしろさはありました。最初の脚本の設定からまったく違う設定や舞台、展開になってしまったけども、最後の男と女がハッピーエンドをむかえるという形だけはゆずれないという鈴木京香の熱い心にほだされて、実現のために唐沢寿明らが裏で奔走する。
それがうまくいってなんとかそれだけは実現する。そしてみんないい仕事したなあってなんかいい気分になって解散。いや、全然いい仕事できてないけどねみたいな。内状はめちゃくちゃで、誰も作品のことを第一に思ってない。
なんとか形になってエンディングにこぎつけた。仕事としてはひどいもんだけど、ラジオドラマを聞いていたトラック運転手の渡辺謙は感動してすばらしいドラマだったとラジオ局まで来てしまうほど。
これもおもしろいですね。作り手側からしたら、できなんかひどいもんだと思ってても、それが良かったとかおもしろかったとか評価されることもある。現場がどうなのかと、評価はまた別物というね。これもどんな仕事でも言えることですね。
手抜き仕事で喜ばれる、一生懸命やって駄目だしされる。よくあること。
コメディとしておもしろいのかというと、パンチ力はあんまりないです。瞬発的なおもしろさはあんまりない。コメディというよりやっぱりしんみりとした人生ドラマ。三谷幸喜さんってコメディの脚本家というイメージがあるけど、実はそうじゃないんじゃないかなあ。
三谷幸喜笑えないとかつまんないとかいう人多いけど、それは三谷幸喜=コメディなのにそんなに大笑いできるところがないからという理由だと思うけど、そもそも三谷幸喜=コメディじゃない、クラシカルな人情喜劇の脚本家と思えば、それなりにおもしろいです。
クラシックムービー、昔のモノクロの人情ドラマを現代劇でやってるとおもって見ればなかなかいい感じだと思う。人情なんだよなあ。喜劇がメインじゃなくて人情のほうがメイン。