後半がなあ。日本の漫画っぽい感じになる。お涙頂戴、浪花節というかね。どうもジメジメした湿っぽい感じになるのが、ちょっと残念でした。前半のドライな感じが好きだな。
女軍曹が非情なことを淡々とやるのが軍隊らしくてよかった。
時代は近未来。AIの発達によって人間のようなロボットが普通に人間と共存してる世界。AIが原因でロスで核爆弾が爆発したとかで、アメリカはAIロボを排除する政策をとる。西側諸国はAI排除で、東側アジアは共存だっけ。
そんでアメリカは反抗するAIロボたちを掃討する戦争をやってて、空に浮かぶ巨大ミサイル発射空母“ノマド”を開発。圧倒的な軍事力で反抗組織を攻撃していた。この戦争を終わらせるために、リーダーである伝説のAIデザイナーの居場所を探していた。
AIデザイナーの居場所をさぐり抹殺するために、米国特殊部隊の隊員である主人公のジョン・デヴィッド・ワシントンが組織に潜入していたのだが……って感じです。
なんかSFなんだけど、現実を強く感じさせる作りになってるなって思った。テロとの戦争を掲げて、いろんな国でアメリカの軍隊が軍事行動とってる。それをそのまんまやってる。
なんかもうちょっと婉曲にやってもいいようなもんだけど、モロにやってるから、不思議な感覚がしたなあ。未来SFなガジェットがいっぱい出てくるのに、やってることは妙にリアルだから。
主人公は潜入して、伝説のAIデザイナーの娘と好い仲になっちゃってて、彼女が妊娠もしてる。ミイラ取りがミイラになってる。
AIデザイナーの居場所はまだわかってないんだけど、そこに米軍が攻めてきてノマドのミサイル攻撃があってというのが冒頭のシーン。
そこから5年後になって、彼女が死んで、伝説のデザイナーの居場所もわからなくて失意のどん底にいるワシントンのところに、軍のお偉いさんがきて、どうやらAI側はノマドを破壊する超兵器の開発をしてるらしい、
研究ラボを探して兵器を破壊せよという任務をもってきます。君はあそこらへんの地理や事情に詳しいだろって。主人公は兵器とか戦争とかどうでもよくなってるんだけど、彼女が生きている映像を見せられて、彼女に会いたいというだけでこの作戦を引き受けます。
いやー、ミサイル直撃してたし、生きてるわけないと思ったし、あんな映像、フェイクで作れるしって思ったけど、ワシントンはそれでも少しでも可能性があればって、希望にすがる感じです。
それでラボがあるらしき場所を襲撃するんだけど、ここの描写がベトナム戦争映画でよく見るそのまんま。ベトコンを匿ってるんだろって、現地の民間人の村をアメリカ兵が襲撃して尋問するみたいなシーンがベトナム戦争映画でよくあるじゃないすか、それそのまんま。
あそこはニューアジアとか言ってたかな。最後のほうはチベットみたいなところも出てきてたから、東南アジア、中国、日本などのイメージのごった煮なんだろね。
僧衣を着たAIロボが米軍に虐殺されていく描写はチベットの弾圧問題を想起させるし。
シミュラントでしたっけ?人間を模倣するアンドロイドのお話なんだけど、この映画自体も過去のSF映画や戦争映画の模倣をうまくやってるシミュラントムービーになってるのがおもしろいですね。
変なカタカナ看板とかもでてきて、ブレードランナーオマージュしっかりやってんなあって。最後にちらっとうつるプラカードに、「もうたくさん、遊牧民」って書いてなかったっけ。いや、直訳したらそうなんだろうけどさ。
あとノマドの施設だっけ、ラボだったかに、壁にでっかく「核」って書いてあったのも、ブレードランナーやってんなあって。
それに日本のマンガオマージュも感じました。超兵器が子供っていうのも、なんか大友克洋っぽくなかったっすかね。子供が超能力もってて世界が破滅みたいなノリ。
そうそう、超兵器っていうのが子供の姿してるんです。テレビが好きで、遊星王子を見てたりする幼い子供。坊主だけどあれ女の子でしたっけ。
彼女が目つぶって手を合わせると、周囲の電子デバイスを自由に操ることができる。しかも能力は成長していってどんどん強くなっていくみたいな。
破壊しろって言われるけど、主人公はできなくて子供を連れて逃げ回ることになります。
後半のこの逃避行からのラストのノマドでの攻防があんまりよくなかったというか、展開が変に思うというかでイマイチに感じました。
こういう絵が撮りたいというのが先にあって、そのイメージを実現するには、キャラクターにこういう行動をとらせようって感じで、後付で展開を考えたように感じる。
主人公の気持ちが、なんかよくわからないというか、無理あるんじゃないかというか。見てて気持ちがのってこないんだよなあ。
最後、主人公が奥さんと再会するシーンも、そういう絵がとりたいっていうのが先にあって、じゃあどういう展開にしようかって逆算で作ってる感じがしちゃうから、感動とかイマイチないんです。
丁寧に、前フリをちゃんとやってるんですよ。こういう死んだやつの脳をメモリーに入れて復元する技術がありますとか、
見た目をAIに寄付するというシステムがありますというのとかをあらかじめ見せる。
最後のあのシーンにつながる説明を律儀にやってる。またそれがアリバイ作りみたいにみえてさめちゃう。
ちゃんと説明してあるから、こうなってもおかしくないでしょ、ねえ?って言ってるみたいで、なんかさめてしまう。
子供兵器が主人公と女AIデザイナーとの間にできてた胎児のデータを使って作られてたものだったのがわかる。
だから、あの子供兵器は主人公の子供って言ってもいいわけなので、彼女のために命をかけるのも不自然ではないんだけど、なんか見てて感情がのってこないんすよ。
理屈がすけて見えると、映画に入り込めないんだよなあ。
それよりも、映画の端々で描かれるちょっとした仕草であったり、ちょっとした出来事のほうに気持ちがもってかれます。
ドラム缶に手足がはえたような敵地に走っていって自爆する特攻兵士ロボとかね。特攻する前に、一緒に戦えて光栄でしたみたいなことを一言いう。
ロックオンされた兵士ロボが家に逃げ込むと子供たちが危ないってことで、立ち止まる描写とか。
渡辺謙が主人公のことをブラザーと呼ぶとかね。そういう小さな細かな描写がグッと来る。そういうことなんだよなあって思って。
人間らしさは、そういう小さな心の機微が感じられる仕草や言葉に宿るんだなと。見た目とか有機体であるとかではなく、そこに心があると感じられるかどうか。
この映画に出てくるロボは見た目が完全にロボなタイプが多いけど、人間臭く感じるし、ドキッとくるもんね。
最後はAIロボ側がノマドを破壊して、わーいってなっておしまい。まあ、でもあれでこの戦争が終結するとは思えないけどね。これはハッピーエンドなのかどうなのか。
なのでストーリーとか展開はイマイチだったかな。
この映画はプロダクトデザインと細かなディテールがよかった映画でした。