メリル・ストリープは女医で夫リーアム・ニーソンと息子エドワード・ファーロング、娘と田舎町で幸福な暮らしをしている。病院に少女の遺体が運ばれてきて、いたましい事件だわと帰宅すると警察官がやってきて息子さんが少女殺人の容疑者だと告げられる。
家にいると思った息子エドワード・ファーロングはいない。リーアム・ニーソンが車を調べさせてほしいという警官を制止し捜査令状もってこいと追い返し、ガレージに停めてあった車のトランクを調べると、そこには血のついたグローブとジャッキが……。
まあ、そんな感じで始まります。息子に殺人容疑がかけられて、状況がよくわからない状態で、母親と父親で心配の仕方がまったく異なる。
メリル・ストリープはエドワード・ファーロングが犯人だとは思えない。なにかの間違いか、エドワード・ファーロングも被害者になってるのかもと思い、できるだけ捜査に協力するべきだと考える。
一方、リーアム・ニーソンは息子がやったかも、いや、やっただろうと思って、息子に不利になりそうな証拠を隠滅し、嘘もつくことを厭わない。警察官が来たときから、捜査に協力しない。血まみれの手袋とジャッキを見つけてすぐに隠滅。
普段から息子と喧嘩ばかりで、息子もグレてるから、息子ならやりかねんって感じなのかな。この二人の息子への愛情の示し方がまるで違うことから事件の行方がどうなるのかというのを見せるドラマです。
意外な事件の真相があるとか意外な真犯人がいるとかいうサスペンスではないです。事件は単純。エドワード・ファーロングが彼女ともめて、喧嘩になって彼女を押し倒したところにジャッキがあって彼女に刺さって死んだという痴話喧嘩からの事故死。
エドワード・ファーロングは怖くなって逃亡したという単純な事件。エドワード・ファーロングはすぐに逃亡先で捕まるんだけど、事件のことを喋らずにだんまりを決め込む。ちょうど思春期で親との信頼関係が崩れてきてるときなんすよねえ。
エドワード・ファーロングは典型的な不良あこがれの十代の若者みたいな感じです。リーアム・ニーソンとは普段から喧嘩を繰り返してた。大人としてふるまいたいなら、責任もてよという父親に反発するまだ子供の息子みたいな関係。
母親のメリル・ストリープは医者として地元で名士でお上品。息子はまだまだ子供なんだという意識が強そうです。普段は仕事が忙しくて、息子の成長に疎そう。なんでも腹わって話せるような感じじゃないですね。
なんかそういう微妙な親子関係になってるときにおきた事件。
エドワード・ファーロングは徐々に落ち着きを取り戻して彼女の死の顛末を話すんだけど、裁判で真相を話すのが難しくなってしまってるんすよ。父親のリーアム・ニーソンが車のトランクで見つけたグローブを焼いたりジャッキの血を洗ったり、話の裏付けになる証拠を隠滅しちゃってる。
エドワード・ファーロングが正直に話せば、父親の証拠隠滅も罪に問われちゃう。リーアム・ニーソンは嘘をついて突き通せばこの困難を切り抜けられるという感じ。メリル・ストリープは嘘をついて切り抜けられたとしても、この先平穏無事に暮らしていけるとは思えない。
裁判で無罪になっても、神はその罪を知っているぞという精神的な呵責に耐えて生きていけるのか。なのでメリル・ストリープは真相をすべて陪審員に証言する。エドワード・ファーロングも真相を正直に証言する。それでエドワード・ファーロングやリーアム・ニーソンは罪に問われることになる。
町の住民から嫌がらせされたり、夫婦で意見がすれ違ったりして家族は以前の幸福な形じゃなくなってしまったけど、また再び新しい家族関係を作っていきますみたいな前向きエンディングでした。
映画としてはあまりおもしろいとこはなかった映画でした。リーアム・ニーソンが息子が疑われてる段階ですぐに息子がやったと思って証拠隠滅しまくってたのは、ちょっと笑ったなあ。息子を見つけて話を聞いてからとかじゃなくて、すぐ隠滅。
あとはエドワード・ファーロングですかね。役作りなのかな、シーンによってすごい痩せてる。頬の肉がなくてげっそりしてるシーンがところどころあるんだけど、憔悴しているという役作りで痩せていたのかな。
夜中に砂嵐の写ってるテレビをぼんやりみて、涙を流すみたいな演技を一生懸命やってました。子役、アイドル的存在から脱皮しようと頑張ってた時期なのかな。
T2でデビューしてイケメン俳優としてやっていくんだろうと思ってたけど、いまいち大成しませんでしたね。やっぱ子役から大人の俳優になってやっていくのは難しいんだなあ。ジョディ・フォスターとか、ライアン・ゴズリングとか子役からうまくやって成功してる人もいるけどね。