2が公開されたとき同級生と何人かで劇場に見に行っておもしろかった記憶があります。液体金属のターミネーターとかおもしろかったし。映像のおもしろさであって、物語としては余計ないらない話なんですよねえ、よく考えると。1で完結してる。
話としてはキレイにまとまってるけど大ヒットしたから続編やるっていうのは興行的には正しいけど、作品としてはどうしようもない感じになっちゃう。無理に終わってる話をこじつけて長引かせる、新たな設定をつけたす、ゴテゴテと装飾品をくっつけたフランケンシュタインみたいな続編が作られる。
このニュー・フェイトもそうなんす。2の続きの話っていう設定。2で勝利してスカイネットによるコンピューターの反乱は起きない未来になったけど、ターミネーター(シュワちゃん)は何体もおくりこまれてて、その1体がバカンス中のジョン・コナーを殺害する。
それから何十年か後、再び未来からターミネーターと守護者がおくりこまれてきます。スカイネットじゃなくて、リージョンとかいうコンピューターと人類の戦争が起きてる未来から。結局、未来は変わったけど、別のコンピューターと別の人間のリーダーが戦争してる未来に変わっただけみたいなんすよ。
そんでまた同じこと考える。過去に戻って指導者が子供のときに殺せば勝つる!ってコンピューターが思う。なんなんだろうな、この理論。
今回のターミネーターは2のときのシュワちゃんターミネーターとロバート・パトリックターミネーターを合体させたようなタイプ。骨格を液体金属で覆ってるニコイチターミネーターです。1体で2体分おいしいみたいな。
守護者のほうは人間なんすけど、強化人間。改造手術をうけて半分機械みたいになってる女性兵士でマッケンジー・デイヴィスが演じてます。
それで標的になる未来のリーダーは、ナタリア・レイエス演じるティーンの女の子です。このひとが未来のリーダーの母親になるのかとおもいきや、この子自体がリーダーになるっていうのは、今の時代っぽく設定を変えたって感じですね。
女性がリーダーの母ではなくて、リーダーそのものである。戦う女性というところは変わってないけど、子供を守るために戦うリンダ・ハミルトンから、世界のために自らのためにということに変わってさらに強い女性像がおしすすめられたって感じですかね。
それでジョン・コナーを殺したシュワちゃんはなぜかカーテン屋やって人間の女性と子供と暮らしています。年を重ねて人間性を学習したターミネーターとして出てくる。
まあそんな感じで、話はこじつけでつまらないけど、アクションシーンのテンポの良さが素晴らしくて、それだけで見れる感じでした。とくに冒頭のターミネーターが転送されてきてバトルが始まって、リンダ・ハミルトン演じるサラ・コナー登場までの流れが素晴らしかった。
余計な説明や、もったいぶった間とか一切なしにスピーディーに展開していく。あのリンダ・ハミルトン登場までだけ見て停止ボタン押してもいいぐらいです。
まあ、そっからはけっこうだらけますよね。アクションシーンは素晴らしいのに、アクションしないシーンのつまらなさが残念です。
登場人物たちが棒立ちで語りだすシーンのつまらなさがほんとつまらない。ノンストップのアクションシーンだけで作ってくれたらよかったのになあ。
アクションシーンがそれぞれの登場人物の説明になってるから、わざわざドラマシーンで説明しなくていいのです。戦いの中での振る舞い、行動がそのキャラクターの性格や生き方、心情の変化をあらわしてるから、わざわざ語り合うシーンとか作る必要がない。
つじつま合わせや、過去作との整合性のためのアリバイ的な説明ははぶいてずっとアクションしてる映画にしてもよかったんじゃないすかね。