ペキンパーといえば暴力とスローモーション。ガンアクションとスローモーションの映画の監督って感じです。「ワイルドバンチ」「ゲッタウェイ」「わらの犬」とかは好きですね。
ほかはあんまりかな。「キラー・エリート」とか変なよくわかんない映画も作ってるんだよね。晩年は映画を作れなくなって、酒とドラッグで体調も悪くなってダメになったらしいです。
なんかペキンパーの映画って時代の変化に対応できず、古い生き方を変えないことを選んで死に場所を探す男たちがよく出てくるイメージがあります。それはサム・ペキンパー監督自身のことだったんだなってちょっと思ったなあ。
自分なりの映画作りを変えない。予算や日程のことお構いなしで、自分が納得するまで撮影しまくる。編集も自分でやりたがる。スタジオ側が編集することで作品がズタボロになったと喧嘩する。
映画を作る側の人たちって、撮影現場が好きで仕方ないんだろなあ。少しでも長く遊びたいみたいな気持ちあるのかな?名監督と言われるような監督が、予算や日程を無視して撮影し続けるみたいなエピソードあるけど、あれはやっぱ撮影現場が楽しくて仕方なくて、それこそが映画、それが人生になっちゃってるからなんだろか。
だんだんとそういう映画作りもできなくなっていく。賛同していた仲間たちもどんどん亡くなっていく。ペキンパー自身が時代の変化に取り残されていく。なんか悲しくなっちゃったな。
芸術家が生涯現役でいることって難しいですよね。新しい作品を作れなくなった芸術家を、よく才能が枯れたとか、流行りが終わったとか、一発屋だったとかいうけども、新作を作れない一番の大きい要因は時代の変化にあわせて自分自身を変化させることができなかったことなんじゃないの。
時代と自分のやってることが合致していたからこそ、世に出ることができた。それが時代とずれていくと、作品自体を生み出すことができる環境ではなくなっていく。才能とか技術とかそういうのよりも、時代とマッチしていることこそが重要なんだなあ。
環境適応能力っていうんすかね。いやー、難しいですけどね。
まあ、でもバイオレンスの名匠だったですね。いいこと言ってましたよ。アクションはただアクションじゃダメなんだ。そのキャラクターの心情をアクションで描写しているから意味のあるアクションになるみたいなことをペキンパーが語ってるシーンがあって、そのとおりだなと。アクションシーンとドラマシーンがばらばらに作られてる映画が多いんすよね。
やっぱそれだとなんか過激さだけで興味をひくアクションになっちゃって、見世物のアクションでしかなくなる。アクション、暴力描写は心情の表現でなければならない。さすがバイオレンスの巨匠、わかってるねえって感じしました。
やっぱそれでどんどんおもしろいバイオレンス映画を作ってほしかったですね、もっと。西部劇に革命をおこし、数々の名アクションシーンを作った監督。
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