主人公の男は彼女からあれがないの妊娠したかもと言われてビビってヒッチハイクで逃亡。トラックの荷台にのせてもらって適当な町で降りる。そこで河原で入水自殺したらしきカップルの死体騒ぎを目撃。そこにいた秋吉久美子とビビビと視線があって友達になる。
秋吉久美子がまたなんか変わってる子なんだよなあ。16歳。題名に十六歳の戦争ってあるからこの映画は秋吉久美子の戦争っていうことなんだろか?あなた家においでよ来なさいよと半ば強引に主人公を家に来るように誘う。占いだかお告げだかであなたが来ることになってるとか言って。
そんで家に行ってみたら、地元の工場を経営してる名士っぽい豪邸で秋吉久美子の父と母と、戦争で気が狂ったのか戦場にいるような振る舞いをときどき見せるケーシー高峰が住んでいる家でこれまた奇妙だなみたいな。
しばらくやっかいになる主人公が彼らと体験したひと夏の思い出みたいな話です。生まれ変わりとか、魂の存在とか、少し話がスピリチュアルっぽいのは時代のせいでしょうか。ヒッピーとかピースとかそういうのが流行ってた時代なのかな。
70年代とか80年代初頭とかの映画によくでてくるのが、子供ができたことに恐怖する若い男。彼女に子供ができたらしいと言われて、焦りまくる男っていうキャラクターがよく出てくるような気がします。
子供ができることがそんなに恐怖で忌み嫌うような出来事だったのか。この映画でも主人公は彼女にあれがないからできたかもと言われて、ちゃんと病院行って確かめろよって及び腰だし、もしできてたらどうするの?って言われて、そんなことわからないとキョドりまくる。あげくトラックの荷台にのって逃亡。
彼女は、男によし結婚して所帯持ちになって家族をやろうと言ってほしい。そう期待しているのに、主人公はまったくその期待に応えようとしてくれない。それどころか、子供作って所帯もってっていう若いやつらが五万といるんだ、もうたくさんだみたいなこというわけ。
それが彼女にはわからない。どうしてそんなこと言うのか。子供作って結婚して家庭もつ当たり前のことがなぜそんなに嫌なのかわからない。男としては、確定しちゃうような気がするから嫌なんでしょうね。
特別な何かである、特別でありたいと願っている若い男にとって、子供ができて結婚して所帯じみていくことは、自分が特別な存在ではなく、ありふれたその他大勢の中のつまらない存在だと認めることになる。それが恐怖なんでしょうか。
そうやって逃亡した男が旅先で出会うのが、秋吉久美子という巫女。巫女に導かれて、もしかすると秋吉久美子の母親が自分の母ではないかという話にもなっていく。どういうことなのかよくわからないけど、迷ってる男が旅に出て自分のアイデンティティ、ルーツを発見するみたいなことなのかな?
秋吉久美子の母がお母さんかと思いきや、そうじゃなくて、戦時中の話がからんできて、主人公の母親は空襲の爆撃で死んでいたとかいないとか。ケーシー高峰は入水して行ってしまう。秋吉久美子はガス管ひねって自殺騒ぎを起こす。
うーむ、よくわからない。最後はわたしのこと忘れないでいてよと指切りげんまんです。振り返らないでよという秋吉久美子。主人公があるきだして振り返るとそこにはもう秋吉久美子の姿はなかった。すべては幻だったのだろうか?
なんか話がよくわからないんですけど、おもしろく見れました。迷う男が旅に出て旅先で出会った人々と奇妙な体験をして、自分を見つけそして帰還するというお話ですかね。
秋吉久美子のフレッシュさが眩しい。アハハってあっけらかんとして、服脱いで川に入って泳ぐ秋吉久美子の自然な美しさが眩しい。話はよくわからないけどね。