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とにかくなんだろな、情報量が多すぎて、
真剣に見てたら映像の洪水に全身をうたれ続けてるみたいになって、
映画が終わったらぐったりです。
で、何がなんだかよくわからないんですよ。
エネルギー量がすごいから、なんだかすごいって感覚で
感じてるんだけど、じゃあ何がどうすごいのかって考えてみても
よくわからない。
映像はチープ感あるし、謎の楽団の行進シーンとかあるし、
観光地紹介みたいなシーンもあるし、
それいる?みたいなものが多いので
ぱっと見は全然名作とかでもないし、
豪華な映像っていうわけでもないし、
むしろこれってダメ映画なんじゃないかみたいに見えるのだが、
見終わったときの疲労感といい、
なにかすごかった感といい、
面白かったかな?って不思議と思ってしまう。
まあ、けっこうきついことはきついけどなあ。
最初の10分や20分ぐらいで疲れてギブアップっていうのが
普通にあると思う。
よく考えたら、けっこう単純な話ではありますよね。
若者時代に戦争を体験したおじいちゃんが亡くなって
息子や孫たちが集まって見送って
初七日ですかそういうのをするっていうだけの話ですよね。
そういう単純な話のはずなのに、全然意味がわからない。
ぼんやり見てたら何がどうなってるのか
わからなくてすぐに迷子になってしまう。
戦争のとき何があったのか、
おじいちゃんの青春とはなんだったか、
常盤貴子演じる女性の正体はなにかとか、
炭鉱から観光へで町がどうなったかとか、
原発やらなんやら、
過去の思い出と現在と未来がカオス的に混ぜ合わさって描かれる。
もうさ、映像のスピード感がめちゃくちゃなんすよ。
大林宣彦監督ってもともと8ミリ映画少年だったらしいんすけど、
もうね、嬉々として撮影しまくって編集しまくってる感じなんすよ。
登場人物がしゃべってるんだけど、
それは心の中の声であったり、実際にしゃべってることであったり、
過去の記憶であったり、想像や希望であったりで、
そのすべてが並列してる。
それぞれがそんな感じで好き勝手やってるもんだから、
会話のシーンのはずなのに、微妙に噛み合ってなくて
ものすごい奇妙なムードをかもしだす。
見てて倒れそうになってきます。
その上、大林映画では死者と生者がシームレスに存在するのが当たり前。
ファンタジーと現実の境目がないのが当たり前。
なのでなにがなんだか感が最初から最後にむかって加速していく。
アクセル全開です。
いやー、とにかく疲労感がすごい。
思ったのが、大林宣彦映画ってファンタジーや郷愁の映画であって
リアリティがない現実とは対極にある映画って思いがちだけど、
むしろ現実に近いんではないかってことです。
普通、映画の中の登場人物は物語上の合理性に基づいて
一貫した行動をしたり、
説明的でわかりやすいセリフを喋ったりするわけですよね。
普通、映画ってそういう整理されてるもんだっていう意識がある。
それ見てさ、リアルだなとか、わかるなとか見てるこっちは思うわけだけど、
よく考えたら現実はそんなに整理されてない。
もっととっちらかってるもんですよね。
過去や現在、記憶や事実、想像や思い出、
すべてがシームレスに並行して存在して
ものすごいスピードで動いていってるのが現実の世界であるわけで。
カオスなわけですよね、現実は。
なのでこの大林宣彦映画のカオスっぷりは、
現実をリアルに描写してるといえるのではないのか。
まあなんかよくわからなかったんすけどね。
安達祐実が生まれ変わって常盤貴子となって現れたということなのかな?
なんかよくわからなかったけどね。
まあ、とにかく物語を追うとか、俳優の演技を楽しむとか、
そういう見方をするには向かない作品ですかね。
目の前を流れていく時間のスピードを体感する映像作品って感じです。
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