認知症になると、あれが現実に起きているみたいなものなんだろう。過去と現在がごちゃまぜに認識されてしまう。人と行動がごちゃまぜにシャッフルされて認識されてしまう。だからこれはまわりの人間が、それは違うと指摘しても、優しく介護しても、治ったりどうにかなったりするもんじゃないんすよねえ。
それが悲しくて怖い。ほんとホラーだよ。自分もそうなるときが来るかもしれないし、うっかり長生きしたらと思うとゾッとするというかねえ。認知症だとはたして自覚できるのか。自覚できたとしても、次の瞬間忘れてるんだから自覚不能なのかな。
80歳こえてアンソニー・ホプキンスが認知症の症状が出てきて一人暮らしが難しくなっている。介護人が時計を盗んだともめて症状が悪化し始めている。娘が一時的に自分の家に引き取って世話してみたりするんだけど、症状はひどくなるばかり。
アンソニー・ホプキンスの視点で描かれているので、サスペンス・ミステリー映画のようにも見えます。台所でお茶を飲んで戻ったら、知らない人がいて、何年も前から住んでるじゃないですかとか言われる。
え?ああ、そうだったかな?みたいな。またあるときは、娘がフランスに行くからもう一緒にいられないという話をするんだけど、しばらくするとそんな話はないチキンを買って来たから食べましょうとかなる。
自分の家だと思ったら、娘の家だったとか。いつ引っ越したのか、どういう経緯だったのか、そういうの全然覚えてない。
なにかの陰謀か、騙そうとしているのかみたいな。やたらとアンソニー・ホプキンスが腕時計がなくなった、盗まれた、時間がわからないと騒ぐのも、アンソニー・ホプキンスの中で時間の感覚が狂ってきているというのを象徴してました。
父がまともに話の通じない状態になっていくのを見て、娘は辛いんですよねえ。自分で世話するのは無理だから、24時間世話してくれる施設にいれるしかないのはわかっているけども、割り切ってなかなかそうできない。
そうだよなあ。見捨てられないというか、切り離せないというか。親も自分を形作る一部であるから、それがダメになったからといって、はいそうですかって切り捨てられない。
認知症がよくなることもないし、自分で24時間世話することもできないし、施設にいれるしかどうしようもないんだけど、スパッとはきれない。
それでどうにかアンソニー・ホプキンスと同居してやっていけないかと頑張るんだけど、どうにも無理になってくる。違うでしょとか、前に言ったでしょ、覚えてないのとかいらついて強くあたったりする。それでどうにかなるわけじゃないとわかっててもそうしてしまうという悲しさですよねえ。
アンソニー・ホプキンスも状態がいいときは、普通の感じなんすよ。陽気だったり、他人を気遣ったりもする。またそれが悲しいというかなんというか。昔、娘の一人が事故で亡くなったらしいことも覚えてなくて、
よくなんか言うじゃないですか。物はなくなるし、持っていけないけど、経験や思い出や身につけたスキルは残るから、そっちにお金や時間を使おうみたいなこと。でもそれ嘘なんだよなあ。記憶も経験も思い出も、物と同じで消えてしまうときがくる。
自分が誰かさえもわからなくなるときが来たらいったい何が残るのか。アンソニー・ホプキンスが木の葉っぱが全部落ちてしまったみたいだと言ってたけど、人生の黄昏時をむかえたらそういう境地になるのかなあ。