自分としてはけっこう退屈したっていうのが正直なところかな。いやー、いいよねこの映画っていろいろ語りだしちゃうおじさん映画ファンがいるのもわかるけど、ちょっと嘘くさい感じがする話だよなあって。
土曜日の早朝の補習授業に集まったタイプのまったく違う5人の高校生。懲罰として自分についての作文を仕上げることを命じられる。密室劇なんすよ。体育マッチョ、お姫様、不思議ちゃん、ガリ勉、チンピラの5人が密室であれこれ口論して最後は打ち解けあう。
前半のさぐりさぐりで牽制し合う高校生たちのやりとりがけっこうだるいです。同級生といっても彼らは全然グループが違う。お互い話をしたこともなければ、どっちかというとバカにしあうような関係。
なんか学生時代を思い出しちゃったな。なんであんなにグループでわかれちゃうんだろね、人が集団活動すると。仲いいやつとしかしゃべらない。仲間と思うやつ以外と挨拶もしない。誰とでも仲良くすればそっちのほうが楽しいし得なのにそうしない。グループでつるむ。
まあそんで当然のごとく5人はいがみ合う。喧嘩になる。でもそのうち家庭の事情や普段思っているけど言えないことをぶちまけて本音を語り合う。すると仲間になるんです。なんだ話してみればいいやつじゃんみたいな。
俺とおまえ全然違うと思ってたけど、同じじゃんってなる。打ち解けても、また月曜日になったらお互い無視していつものグループに帰っていくだけでしょってお姫様が冷静にいうんだけど、いや、もうここまでお互い深いところでかかわったら無視できないだろって、彼らは謎の結束を強くする。
そしてチンピラとお嬢様はいい感じにカップルになり、お嬢様に化粧してもらって実はいけてる女子だと判明した不思議ちゃんと筋肉バカがなぜかカップルになる。
迎えにきた親たちの車に乗り込む彼らは、朝、学校についたときとは、何かが決定的にかわっていた。何かを乗り越えた。大人になると忘れてしまうなにかをたしかにいま持っているということを心に刻みつけた。
徒歩で帰るチンピラは勝利を宣言するように拳を天に掲げていた。っていう感じ。俺たちは親のような大人にはならないぞという決意表明なのかもしれない。
なんかこう、最後のまとめかたがいい感じなので、前半の退屈さを我慢して見てよかったなっていう気はしました。
でもこれ80年代当時はどういう感じでとらえられていたんだろう?リアルな話として80年代の空気を封じ込めたリアリティのある青春ものとして見られていたのかな?それとも当時でも一種のファンタジー、こうあればいいのになっていう希望の物語として見られていたのか。
そのへん気になります。80年代の未来への希望の強さっていうのはほんとすごい。よくわからない知らないやつ、敵対するようなやつらでも、顔をあわせて本音を語り合えばわかりあえるもんだという思いがあらわれてる。
話せば分かるみたいな空気。対話でお互い知り合えばなにかいい未来が待ってるみたいな空気。親みたいなダメな大人にはならないぞという決意と熱意。だからなんだろなあ。80年代の音楽や映画がピカピカ輝いてお祭り騒ぎして明るいような気がしちゃうのは。未来への希望が満タンだからだね。