セリフで説明する映画が増えたとか言ってるんだけどさ、ほんとにそうなんすか?映画とか漫画とか、登場人物が説明セリフを言うのが当たり前で、昔の映画や漫画も説明セリフだらけなんだけど。
黒澤明や小津安二郎の映画も説明セリフだらけだし、手塚治虫の漫画だって説明セリフだらけだし、ジョジョの奇妙な冒険だってドラゴンボールだってセリフで説明しまくってます。ガンダムだって状況説明セリフだらけですよ。表現技法としてセリフで状況説明や気持ちを説明することなんて昔から当たり前に行われている。
なのにこの本ではセリフですべてを説明する映像作品が増えたと言い切ってます。新しい現象かのように言ってる。そういう統計データみたいなもんがあるんですかね。昔の作品はセリフで説明してない、今の作品はセリフで説明しているみたいなデータってあるんだろうか。
セリフで説明しない映像作品は昔も今も少数派だと思うんだけど、違うんすかね。むしろ昔の映画のほうがなんでもかんでもセリフで説明しているイメージがあるんだけど、実際どうなんだろう。
映像作品は絵で説明するもので、説明セリフを使うものを下に見てるのにも違和感です。いったい何を言っているんだって感じ。説明セリフを排除して映像だけで物語るのは、手法のひとつにすぎない。映像作品はこうであるべきみたいな変な固定観念にとらわれすぎ。
鬼滅の刃を例にだして、説明セリフが余計だ、いらないと言ってるんだけど、は?何いってんのって感じですよ。映像でわかるんだから、そのセリフいらないといっているんだけど、作者がなぜそこでそのセリフを言わせているのかという作者の意図を完全に無視している。
説明セリフをいれないと意味がわからない頭の悪い観客に配慮していらない説明セリフをいれてるのだと決めつけている。早送りやスキップして映画を鑑賞する人をそれじゃあちゃんと見たことにならない、作り手の意図をないがしろにしていると批判しつつ、この説明台詞は余計だからいらないと言う。
重要な情報がなにもないように見えるシーンを早送りしたりスキップしたりするとはけしからんといいつつ、鬼滅の刃の主人公のセリフは見ればわかるんだからいらないものだと断定する。セリフで言わせている作り手の意図を考えないのはなぜなのか。
絵で見てわかるんだから、ここセリフいらないでしょうって、何勝手に決めつけてんの?みたいな。意味が通じりゃいいんだから、その表現はいらんでしょって、作り手の意図完全無視かい。作り手の意図を尊重するのが大事なんじゃないのかい。わけがわからない。
映像での説明にセリフでの説明を重ねることを悪としているのがわからない。最低限、必要な情報だけ描いていればいいんだ、無駄なものはえがかなくていいんだっていうのは、映画を早送りしたりスキップしたりして観てる人と同じ思考をしてると思うんだけど。
どういうことなんだよみたいな。この本はけっこうそういうところ多いです。映画を早送りで観る人をわけがわからないと言ってる著者の言ってることのほうがわけがわからなかったりする。
仕事で早送りしたりスキップして見た映画を何年もたってから通常速度で鑑賞したら印象が全然違って驚いたとか言ってるんだけど、当たり前だろ。
それ早送りは関係ない。何年も前に見た映画を見返したら全然違って見えるって普通にあることなんだけど。倍速やスキップせずに普通に鑑賞した映画でも何年もたってから見返したら全然違う作品に思えるなんてことは当たり前のことなんだよ。
映画なんて観るたびに違って見えるもんなんだよ。観る側の年齢の変化や心境の変化、そのときの気持ちで注目するポイントが違ってくるので毎回違う感じ方するのが当たり前で、一度観たからといってずっと同じに見えると思うほうが変。
どうも昔からあることを、コスパとかタイパとか言って今、新しく起きている現象かのようにして、理由を現代社会の中から無理やりこじつけで引っ張ってきているように思えます。
早送りで映画を観ることも、昔から同じようなことをやってる人たちはいた。劇場で映画を途中から見て最後まで見なくて退席する人とか、好きな俳優が出てるシーンが終わったら帰る人とかいたわけで、何も新しいことじゃない。みんながみんな映画を最初から最後まで見てるわけじゃなかった。
テレビ放送の映画はCM分の長さカットされてたから、ある意味スキップして映画を見てたようなもんだし。
先に結末を知りたがる人とかそんなの昔からいるし、映画を見てて、この人なにしてんの、この人なんなのとか、見てれば後々わかるよっていうことを聞いちゃう人も普通にたくさんいたし。
キャッチーな題名で興味をひくけど、昔からある現象を今おきている新しいことのように見せようと都合のいいデータや理由をこじつけてるだけでした。なんか違和感しかない。客観的な視点で語っているように装って、実際は全然そんなことなく、俺は映画を早送りするやつが大嫌いなんだって言ってるだけなんだから。
だったらそう書けばいいのにな。それですむ話なのに、本としての体裁を整えるための文字数稼ぎしていらない話をくっつけてるように思える。
映画はこうあるべきとか映画はこう観るべきみたいな風潮っていつからできたんだろう。昔はけっこう自由に見てたし、作者の意図とか、作られた背景を読み取って観るのはプロの評論家ぐらいだったと思うけど。
時間つぶしで映画観るとか、むしゃくしゃするからスカッとするアクション見ようとか、デートでムードを盛り上げたいから恋愛もの見ようとか、適当に映画を見てたのに、いつからか、作り手の意図を正しく読み取るのが正しい映画の観方だみたいなことになってる。