親が留守のときにでっかい家でパーティーやってるシーンがよく描かれるけど、そんなパーティー文化なんすかね、アメリカは。高校生のときに、今日親が留守だからパーティーやろうぜとか言ってるやついなかったけどなあ。いたけど自分が知らなかっただけなのか。
主人公はガリ勉の生徒会長。いつも一緒の親友と優等生であることを誇りに思ってる。進学はイェール大学です。同級生にはパリピみたいな目立ってるグループがいて、バカ騒ぎを所構わずやってるわけ。
そういうのを冷ややかに見て傍観していた主人公。まあ、私にはこの先の目標があるし、彼らは高校生時代がピークなんだからって思ってたんだけど、実際はパリピグループのやつらはみんなイエール大学やハーバード大に進学したりグーグルに就職が決まっていたりしてんの。
は?みたいな。わたしは遊ばずに勉強一筋で高校生時代を過ごしたのに、彼らは遊び倒してその上に良い進学先も確保していたっていうの?愕然とする主人公。そんで、卒業式前日の夜にパリピが主催するパーティーで3年分羽目を外して損を取り戻そうとする。
そういう話です。まあ、ドタバタコメディっていうやつですね。主演二人の悪ふざけを楽しめるかどうかでこの映画の評価はまったく変わります。楽しめれば楽しい映画。楽しめなければたわいもない駄作。
パーティー会場にたどり着くまでが長い。人気者がやってるパーティー会場がどこかわからなくてさまようくだりが長いです。お金持ちでいいやつなんだけど、まったく人気がないやつのパーティー会場にいったり、演劇クラブの即興演技パーティー会場に行ったりあちこちさまよう。
その間、主演二人、ビーニー・フェルドスタインとケイトリン・デヴァーのド下ネタ満載の悪ふざけのやり合いが続く。ストーリーは全然前に進んでない。これに耐えられるかどうか。ギリおもしろく見れたかな。
変わり者で神出鬼没な謎の女ビリー・ロードが場をかき回すからなんとか単調にならずに見てられたって感じ。
内容はもうこれまで何百回と描かれてきた学生時代の不安と期待、夢と挫折、恋と友情という普遍的なものです。こういうのって時代がかわっても変わらないもんなんですね。昭和でも平成でも令和でもティーンの考えてることは変わんないってことなのかな。
時代が変わったと感じるところは、ゲイであることが普通のことで珍しいことでもなく、グループはあるけどお互い敵対してるわけでもなく、それなりにうまくみんなやってると描かれているところですかね。
まあ、これは映画だから配慮して、人種も趣味嗜好も性別も偏らないようにいい感じに配置してるだけで、リアルがそうだとは思わないけど今の十代はこんな感じなのかもって思ったらなんだか未来は明るいなって思ったよ。勉強も遊びもやるのが普通で、多様性を認めるのが当たり前で元気があって友情に篤い。