絶対沈まない世界一巨大な戦艦が沈むのを見れば日本人は負けを認めざるを得ない。敗戦を受け入れるための生贄として巨大戦艦大和は建造されなければならないという理屈。理屈が通っているような通っていないような。でも感情には訴えてくるものがある。
戦艦建造の見積もりが不当に安く計算されていることを、数学の天才菅田将暉が暴く話。時間はないし、満足のいく資料の提供もない、妨害とかもありながらプレゼンで見積もりが正当な額の半額でしかないと暴くことに成功する。
勝った~と思いきや、見積もり額を低くしていたのは、敵を撹乱するための情報操作だという屁理屈で乗り切られそうになる。うわー、うまいもんですね。取引慣れしてる人とか議論慣れしてる人はこういう屁理屈や話のすり替えがうまいんだろね。
それでうわー、負けたって思うんだけど、また菅田将暉が戦艦の致命的な設計ミスを指摘して逆転。巨大戦艦建造案は撤回されて終わる。でもそこで話はまだ終わらない。戦艦は建造されることになる。
菅田将暉は設計ミスを修正する数式をもってる。それを渡してくれないかと。そんなことできるわけないでしょっていうんだけど、菅田将暉の数学者としての気持ちをくすぐること言ってくるんすよ。
計算どおりのものが完成した姿を見たくないのかと。自分のはじき出した美しい数字が形となったときの興奮を味わいたいと思ってるだろって。ダメ押しが、日本人が負けを認めるための生贄に必要なのだという泣き落とし。
エンジニアの興味をくすぐる、情けに訴える泣き落とし、もうこんな二段構えの説得されたら反対できない。
数字は完璧、嘘をつかない、理論的に整然とした美しさが何よりも優先されると思ってる菅田将暉なのに、設計のミスを修正する数式を教える。そうなんだよなあ。人間は数字よりもその裏にある感情を優先する生き物。
最初にアメリカ行きが決まってたのに、それをやめて仕事を引き受けるのだって感情に流されたからだもんなあ。戦艦づくりを阻止できたからといって戦争へむかう日本を止められるわけじゃない。
論理を優先するなら自分が日本を捨ててアメリカ行ってもいいわけだけど、菅田将暉は日本に絶望して軍人も嫌いなのに仕事を引き受ける。やっぱ感情ですよねえ。
数字じゃなくて情が支配する世界なのだ。だから戦争を始めるやつがいるし戦争で儲けようとするやつらがでてくるしっていうことなんだな。
よくさ、戦争なんてするわけないよ、国際社会で孤立したら損するからとか、攻めて行ったりしないよ、損害でるし得することないからとか、言う人いるじゃないですか。そんなことしても得しないんだから戦争なんてならないよってさ。でも実際はそんなことおかまいなしに戦争が始まるわけで。
世界は損得勘定や理路整然とした理屈で動かない。情で動いているって感じる。