カナダの雪深い田舎町でおきたスクールバスの交通事故を舞台に描かれる人間ドラマ。子供を失った町の住人に訴訟を持ちかける弁護士を狂言回しにして、事故と町の住人たちの人間関係を浮き彫りにしていく。
まあ、そんなはっきりとしたサスペンスやミステリーとしては描かれていません。驚愕の真相が明らかになる!みたいなものじゃない。もっとぼんやりとしたものです。
弁護士には娘がいるんだけど、薬中で施設を出たり入ったり、連絡は金の無心だけ。どうしてこんなことになってしまったのか彼自身わからない。娘は生きているのに、死んだも同然なのです。
バス事故で子供を失った人たちと、生死の違いはあれど、ある意味同じ境遇といえます。バスを運転していた女性、バスに乗っていた子供たちの親、それぞれにも家庭の事情がある。みんな何かしらの罪の意識をかかえて生きている。
その普段は隠れているものが事故がおきたことで微妙に表にあらわれてくる。あくまでも微妙にです。はっきりとはよくわからない描き方なんすよねえ。
登場人物たちの関係を、誰と誰がどうでこうでみたいに、頭の中で関係図を書きながら見ないとよくわからない。詳しいことは何も明らかにはならない。
わかるのは、事故の生き残りの車椅子の子が、事故について運転手のスピードの出しすぎが原因だという嘘の証言をしたということ。そうしたのは、父親との関係に理由があるということ。彼女の証言により訴訟は失敗に終わった。それぐらいです。
なぜ生き残った彼女が嘘をいって訴訟をぶち壊したかったのかというと、やっぱり父親との近親相姦関係に違和感を感じていて終わらせたかったからということなんでしょうか?訴訟でうまく賠償金をせしめることは、父親の思惑どおりに事が運び、事故を通して彼女と今までどおりの関係が継続していくことを意味する。それを壊したかった?
弁護士は訴訟が成り立たなくて儲け損なったわけですけども、娘に会いにいく。飛行機のとなりの席に偶然、娘の知り合いが乗ってたってどういう偶然なんだろって思ったけど、すべてはそういうめぐり合わせになってるということかな?
娘が子供だったとき、蜘蛛かなんかに噛まれて熱だしたかなんかで病院につれていかなきゃいけないときの思い出話をその偶然の隣席人にする。あんなにか弱く守らなければならい存在だった小さな娘。
それがどこでどう道を違ったのか。それは弁護士にも娘にも他人にも母親にもよくわからない。事故によって新たな関係が始まるように、予期しないことの連続のなかで人は生きているのだから。
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