11歳の娘ソフィ(フランキー・コリオ)と父親カラム(ポール・メスカル)がトルコのリゾートで夏の旅行を楽しむ様子をホームビデオ映像を交えながら描いていく。一応、大人になったソフィがそのビデオを見てるという形になってます。
ただそれだけなのよ。なにか事件が起きそうな気配はちょこちょこあるんだけど、何も事件は起きない。
ちょいちょい変なというか、不穏なというか、違和感を感じるところがある。父親の様子がなんか変だったりするわけ。手を転んで骨折したとかでギプスしてるのも、ほんとにころんだ怪我なのか?って思ったり。
親は離婚してて、ソフィは普段は母親と暮らしてるみたいです。トルコのリゾートでプールサイドで日焼けしたり、ビデオカメラの前でおどけてみたりと、普通の楽しい親子の旅行に見える。
他のホテルの泊り客の若者たちとソフィがふれあって少し大人になることを意識したりとか、同年代の男の子とファーストキスしてみたりとか。
ただの旅行の様子なんだけど、どこか不穏というか不安なんだよねえ。それは少し父親に暗い影が見え隠れするからかな。なんかおかしいんだよな。いたっていい父親なんだけど、ときどきふさぎこんで娘のことも頭になくなるみたいなときがある。
でもそれがなにを原因にしているのかは描かれないし、大人になったソフィが説明してくれるわけでもない。
それで最後のシーンがすごいのよ。ストロボの明滅する映像の中、踊る父親。その父を抱きしめる大人になったソフィ。BGMは「アンダー・プレッシャー」。フレディー・マーキュリーとデヴィッド・ボウイのデュエットですよね、確か。
どうして?なぜ?愛という歌詞が重なってきて、一気に感情がほとばしる。それまでの不穏だけど何も起きそうにない旅行映像がこの幻想的?なシーンでなにかがおきたと感じて強いインパクトを残す。これはずるい。
音楽の使い方、歌詞の重ね方がうますぎる。で、映画は終わるんだけど結局なにもわからないのよ。でもこのシーンの衝撃がすごすぎて、それまでのシーンの意味を考えざるを得ない。確かに父は娘を愛していたし、娘も愛していただろう。
それがソフィが大人になった今、もう失われているらしいということに対しての自分なりの納得する物語をいろいろ考えてみたくなるのです。
なぜ?をどうしても考えたくなる。なにもわからないのに。まあ、いろいろとあーでもこーでもと考えることはできます。ソフィは同性愛で女性のパートナーと子育てしてるらしいシーンがある。もしかしたら父親の離婚原因はカラムがゲイだったからかもしれない。
兄と妹に間違われるぐらいカラムは若いです。30歳ぐらいだっけ。ソフィが11歳だから18歳、19歳とかにできた子供ですよね。そのときはゲイであるということをはっきりと意識してなかったけど、年齢を重ねることで自分のセクシャリティと役割の乖離に強く違和感を感じていたのかもしれない。
社会的にもオープンにできる風潮じゃなかったかもしれない。それで父は悩んでいて……みたいなことを考えることもできます。だから大人になったソフィは旅行のビデオを見て、あのとき父はどう思っていたのか、なにを考えていたのかと思いをめぐらす。
今のわたしならあのときの父の気持ちがわかってよりそうことができるのに。
直接聞けない、思い出の中の父に聞くしかない。なぜなら今はもう父がいないから。そんなことを考えちゃいますね。まあ、それが正解なのかどうかはわからないけど、もういない親のことを思って、自分が子供のころの親が何を考えていたのか、どう思っていたのか知りたいというか、思いをめぐらすときはある。
子供のときの自分にはわからないなにかが親と同じ年齢になった今なにかわかるような気がする。誰しもあるんじゃないすかねえ。ないか~?
なんか見てる間は退屈なんだけど、最後にパンチくらって、うわなんかすごいもの見たっていう気になる映画でしたね。