映像は凝ってます。舞台セットまるだしのラスベガスのネオン街。手前で男のシーンが展開して、その背景に女のシーンが展開するというマンガでよく見る、ひとつの画面に同時刻、違う場所でおきてるシーンを重ねて見せる絵作り。
作り物めいた舞台でなんの変哲もない普通のただの痴話喧嘩ドラマが展開するという不思議なムード。変な味わいがある。それはよかったかな。
まあ、いろいろ逸話が語られる作品ですよね。監督がフランシス・フォード・コッポラで、全部セットで撮影することにこだわった結果、制作費がかさんで、しかもヒットもしなかったから大赤字で破産したとかなんとか。
出来上がりの映画を見ると、町のセットを作る必要性があるようにはおもえないけど、コッポラはこだわりがあってそうしたんだろうなみたいな。芸術家の考えることはわからない。
コッポラは最近「メガロポリス」っていう映画を巨額の資金で作ったけど、大コケしてまた破産したみたいなニュースを見かけました。時計売ったり、ワインのぶどう園を売るとかしなきゃいけなくなったみたいな話だったかな。
メガロポリスってそんなひどかったのかな。いやー、何歳ですかね。80歳こえてるのにまだ作りたいものがあって、全財産フルベットするようなことしてまで作ってそれがまったく失敗に終わるってすごいですね。
そうまでして作りたいものがあるってすごい。
このワン・フロム・ザ・ハートは普通のメロドラマとして楽しむことはできました。最初の40分ぐらいけっこうきつかったけどね。なんかすんごいだるい。1時間ぐらいすると慣れてきて楽しくなってきます。
テリー・ガーがラウル・ジュリアとネオン街を群衆ダンスするシーンや、ナスターシャ・キンスキーが綱渡りを披露するシーンとかあって退屈がまぎれるし。
ナスターシャ・キンスキーのでっかい顔のシーンは、「ブレードランナー2049」でオマージュされてたなみたいな。
フレデリック・フォレストはナスターシャ・キンスキーといい感じになるけど、やっぱりテリー・ガーとよりを戻したいとテリー・ガーを追いかける。
テリー・ガーは別れてラウル・ジュリアといっしょにボラボラ島へバカンスへ行こうと飛行機へ。やり直そうよっと飛行機の搭乗口まで追いかけて追いすがるけどダメで、一人悲しく家に帰るフレデリック・フォレスト。
するとそこにテリー・ガーが戻って来る。やっぱり別れられないわって元サヤです。おしまい。
なんで戻ってきたのかさっぱりわからないけど。
まあ、これはそれぞれ新しい相手と新しい一歩を踏み出したほうがよかったんじゃないかって思ったけどね。もとに戻ったからといってまたすぐにケンカだろうし。
かといって新しい相手とも、すぐにダメになりそうな気がするけど。
ほんとただのありふれた痴話喧嘩ドラマだ。なんでこういう話を撮りたいと思ったんだろう?謎としかいいようがない。
「地獄の黙示録」を作ったあとで疲れたから箸休め的になんてことないメロドラマがやりたくなったのかな。だったら低予算で作ればいいものをなぜか巨大セットをつくるという大掛かりなことをやる。
この映画を低予算で作ったっていうんなら納得の映画なんすけどね。芸術家の考えることはなにひとつわからない。不可解。