いつか読書する日
何十年も思い続けた二人の恋の結末は……。なんだか御伽噺のようなファンタジーを感じる話だったなあ。時間じゃないんだよっていうね。岸部一徳が最後に笑っていたというのもなんだかわかるような気がする。何十年も心に秘していた思いがとげられた一夜。それで満足だったということでしょうか。何十年もの人生よりも、あの夜の一日のほうが何十倍も価値があった。というかその夜こそが岸部一徳の人生だったというか。それまでの人生は人生ではなかったというね。
まあ、奥さんの仁科亜季子からしたらなんだよっていう気持ちだろうけど、そういうもんなのかもなあ。人間にとって思い通りに気持ちをとげられるということがもっとも重要で、それこそが生きるっていうことなんだよみたいな。
それがわかってるから奥さんは死にかけになってて他人のことどころじゃないのに、田中裕子に岸部一徳と一緒になれって遺言するわけですよねえ。いやー、嫌だと思うけどね。自分の夫が別の女のことをずっと気にしてるのがわかるのは。
夫はちゃんと気をつけてそれを出さないようにしてるのも、奥さんからしたら心苦しい。田中裕子は朝は牛乳配達、昼はスーパーのレジで働く中年。彼女の働く様子が前半細かく描写されます。
すごい坂道っていうか、斜面に建ってる住宅地を毎朝歩いて登って牛乳瓶を配達してる。ロケ地は長崎なんだって尾道かと思った。長崎ってああいう感じなんだあ。牛乳配達先のひとつに岸部一徳の家がある。奥さんの仁科亜季子が病気で在宅医療でベッドに寝たきり。もう先が長くない感じです。
岸部一徳は役所勤め。なんか奥さんの家が地元の名士の家かなんかなのかな。岸部一徳の家がそうなのかどうなのか知らんけど、大きな家に大きなベッドでお手伝いさんみたいな人もいて看護体制はばっちりです。田中裕子と岸部一徳は同級生で高校生のとき付き合っていた。
でもお互いの親がややこしい感じで事故死したことから疎遠になった。それから必要以上の接触はなくなってお互い違う人生を送っていたらしいです。でも街からでることなく何十年も過ごしていた。
田中裕子のほうは独り身でパートナーはいない生活。知り合いの作家のおばちゃんと仲良くするぐらいでたんたんとした毎日を過ごしています。心に岸部一徳への思いを秘めたまま。まあ、それがどうなんだろっていう感じもするけどね。
高校生ぐらいのときの思いを枯れさせずに何十年も継続させることができるものなのかっていうね。そこに現実味があんまり感じられなかったから、これはファンタジーなんだなって思ったんすよ。
思い出を胸に、わたしは現実をひとりで生きるというのなら、なんかリアルだと思うんだけど、田中裕子と岸部一徳は仁科亜季子の死をきっかけに、何十年ものときをこえて肉体的に結ばれるのです。
もう、なんか泣けてくるラブシーンだったなあ。田中裕子も岸部一徳もおばさんとおじさんなのに、うれしくて悲しくて気持ちが焦って、あっぷあっぷしてる感じで抱き合うから、なんだか初恋がかなってはじめてベッドをともにする若者みたいにみえた。
それが泣ける。実際は何十年もたってるわけだからさ。いったいどれだけ回り道したんだよっていうね。読みたい本なら本棚にしまってながめるんじゃなくて、いますぐ手にとって読むんだよ!っていうね。
いつか読もうと思って本棚にしまってしまった本は、きっかけを失ってしまって、一生読まずに終えてしまうかもしれない。でもさ読まない本って、読んだらおもしろいんだろうなって想像する楽しみがありますね。
読んじゃったらそこでおしまい。田中裕子と岸部一徳の二人の気持ちは実際に成就しないからこそ続いたということもあるね。スーパーの香川照之や若いパートの人みたいに即物的にいちゃいちゃしていたら、これほど長いあいだ気持ちが続くということはなかったわけで。
結ばれた翌日、岸部一徳は増水する川にはいっていく子供を助けるために川に飛び込んで溺死しちゃう。いやー、田中裕子もあの日ぐらい牛乳配達休めばよかったのにね。律儀にいつもどおり配達行っちゃう。
岸部一徳はうきうき気分で朝寝坊。そして川で溺死。でも死に顔は笑ってた。なんかわかるなあ。いいことあった日って世界がすべて自分のものになったような多幸感に包まれて無謀なことも平気でやっちゃう気持ちになれちゃう。
なんかもう岸部一徳は長年のもやもやが解消されて思い残すことなかったんじゃなかろうか。うーん、あとに残された田中裕子はいったいどういう気持ちなのか。
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