主役はトミー・リー・ジョーンズ。ベトナムでサミュエルと一緒に戦った仲間です。ベトナムで負傷したトミーはその後デスクワークへ。サミュエルのほうは実戦を重ね勲章を数々授与されるような名兵士へとなる。それで20数年後、トミーの除隊がもうすぐというときに、サミュエルは任務を命じられる。
イエメン大使館に集まったデモの群衆が暴徒化していて危険だから大使館の人間を守るというミッションです。そんでサミュエルは部隊を率いてヘリでブーンっていって大使館についたら、デモどころか大使館は銃撃されまくっててほとんど戦場と化していた。
そういう危険な状況で見事大使と大使の家族を救出。アメリカの魂である国旗を回収することも忘れずという仕事のできる軍人サミュエル。めちゃくちゃ撃たれてるんだけど、撃ち返しません。なんかデモの群衆は民間人で女子供だから手出しできないみたいな。
それで耐えてやってたんだけど、仲間が何人かやられて、サミュエル・L・ジャクソンは民衆のなかに銃をもってこちらを撃ってる人間がたくさんいることを視認できたので、射撃命令を部下にだす。それでイエメンの群衆が80人ぐらい死にます。
この作戦がのちに軍事法廷で裁かれることになるんです。サミュエルが暴徒にむけて発泡命令をだしたのは戦闘行為として妥当なのか、それとも殺人行為なのか。そんなのすぐわかるじゃんって思うんだけど、証明できないんすよねえ。
群衆の中に銃をもって撃ってきてるのを見たのはサミュエルだけ。見てた兵士は撃たれて死んでるし、他の兵士は伏せて身を隠していないといけない状態なので見ていない。現場をあとで捜索しても銃は発見されなかった。
じゃあどうすんだって思うけど、大使館には監視カメラがあって映像が記録されていてビデオテープがアメリカにおくられていた。おおこれですぐわかると思ったら、ことは単純に運ばないのであった。
そこには決定的な証拠がうつってるんだけど、国家安全保障局かなんかのおえらいさんがそれをにぎりつぶします。今回のことの責任を国でひきうけるつもりはない、サミュエルという1兵士におしつけて終わらせようという魂胆らしいです。
なんかよくわからない動機だなあ。おかしな兵士が独断でやったことだって言ったところでアメリカ軍に所属してるんだからアメリカの国としての責任を言われるのは変わらないのでは?って気がしたけどどうなんだろ。
そのへんがちょっとよくわからない感じしましたけどね。この映画はなんか実話っぽい雰囲気なんだけど、細部はけっこういい加減なフィクションっていう感じがしました。ベトナムでトミー・リー・ジョーンズを救うためにサミュエル・L・ジャクソンがやったことも、おいおいギャングかよみたいなことだったし。
弁護をひきうけたトミー・リー・ジョーンズが今回のことを調べながら、ベトナムでのことを思い出して精神おかしくなってまたアル中になってサミュエルのことを信じれなくなって殴り合ったりとかする。
そして最後、決定的な証拠がないからなのか、数々の不利な証言があってもサミュエルは有罪にはならず無罪となります。あの状況で勝つってすごくないか。戦場を知り尽くした兵士であるサミュエルの判断を支持するからという理由ぐらいしか有利なポイントなかったけどね。
だってさ、命を助けられた大使は保身のために嘘の証言平気でするんだぜ?トミー・リー・ジョーンズが大使の奥さんに、彼に命を救われたんでしょう、正直に話してくれませんかっていっても、今の生活が大事なのだから無理って言われて終わり。
反対に印象的だったのがベトナムで戦ったベトナムの兵士が出てきて証言台に立つんだけど、彼は正直に証言する。もし自分が逆の立場だったら仲間を救うためにサミュエルと同じことをしたかと聞かれてしただろうと。
戦場のひどさを知ってるもの同士、敵も味方もなく通じるものがあるみたいな。最後の敬礼はなかなかいいシーンだったね。まあ、でも映画としてはどうなんだろ。何を描きたいのかはっきりとしない。
戦場での友情なのか。戦場のひどさなのか。愛国心と個人の幸せはどっちが優先なのか。なんかいろんな要素をいちおう揃えてみたけど、結局なんだったん?みたいな。後半は法定劇になるんすけど、検事役のガイ・ピアースがおもしろ嫌な奴演技しててそれがおもしろかったですね。