よく喋るおじいちゃん。列車に乗って同室になった乗客たちに家族写真を見せながら、自慢の子供たちなんですと聞かれてもないのにべらべら。コメディだと思って見始めたんだけど、なんだか雰囲気がおかしいんです。
なんか怖い。楽しげに陽気にマルチェロ・マストロヤンニがふるまうのが、なんか空回りにしか見えなくて、子供たちって実在するのかなとか思っちゃう。実際に最初に訪ねた子供には会えません。
アパートに行ってもいないし、電話しても留守番電話ででてこない。電話するシーンがフラッシュモブで表現されてた。街の雑踏の中の公衆電話で電話するんだけど、電話がつながると、群衆が全員ピタッと動きを止めます。
電話が終わると動き出す。時が止まってる、その子供との関係は過去のもので現在はないという表現なのであれば、これはその子供はもういないということなのかと。事故で死んだとかかなあと思ったりした。
マルチェロ・マストロヤンニの前に子供たちが子供のころの姿をして出現したりもします。まあそれで一人目には会えずで次の子供のもとへ行きます。これ、子供ってほんとに存在するのかなって、ちょっと怪談みたいで怖くなってしまったね。
存在しない子供のもとを訪ねる老人って怖い。でも、二人目、3人目と子供たちには会えます。なんだあ、ほんとにいたんだと一安心。なにが一安心なんだか。
マルチェロ・マストロヤンニは子供たちといい関係だと思ってるけど、子供側は嫌ってるとかいう設定なのかと思ったけど、そういう感じでもなく、子供たちはマルチェロ・マストロヤンニの突然の訪問を見かけは嬉しがって見せる。
ちゃんとやってるよって、父親に話をあわせる。でもみんな嘘をついてるんですよねえ。父親は子供たちがすごいいい仕事していい地位についてると思い込んでるので、そういう仕事、生活をしてると演じてみせる。
なんかそれも怖かったですね。父親なんか大嫌いだと面と向かっていがみ合ってるほうがわかりやすくていい。見た目は笑って平静を装って、ほんとは嫌だなあって思ってる子供たちのことをわかってないマルチェロ・マストロヤンニ。
悲しすぎるし、怖すぎる。お父さんはぼくたちに優等生であってほしがった。理想の姿をおしつけて育てて実像を見ようとしなかったんだと。
最初に訪ねて会えなかった息子は自殺して死んでいた。マルチェロ・マストロヤンニは知ってるはずなのに、旅行に行ってるとかいう子供たちの嘘を信じるふりをするし、刑務所に入ってるのかとか聞いたりして、子供の死を認めない。
子供たちはこうだという理想の姿を壊したくないために現実を直視できない老人。
旅の終わりが近づくうちに、マルチェロ・マストロヤンニも否応なく自分の思い込みと実像の乖離に気付かされていくんだけどね。子供たちは子供たちそれぞれの生き方をしてて、問題もあるしうまくいかないこともあって、理想の優等生たちではない。
それでがっくり帰途につくんだけど、それでも妻の墓前で子供たちはみんな元気でやってるよと報告する。こりてねえなあみたいな。
もう無理か。老人になってから、それまでの理想化していた思い出を、現実に書き換えるなんてことは。
なんかとにかく怖い映画だったです。親が子供へ理想をおしつけてそのまま年をとっていって、そのままで変われない。親と子供の距離でもこんなにも遠く感じる。寂しいね。
もっと楽しげなドラマが見たかったのだが、暗黒ファンタジーというか、大人向けのダークファンタジーな感じでした。
こんな映画見たらみんな元気なくなっちゃうよ。