主人公はドン・チードル。歯科医で裕福で妻と娘がいて家庭もあってという人生に成功している男。町でアダム・サンドラーを見かけて声をかけるのだが、アダム・サンドラーはヘッドホンしてて気づかなくて行ってしまう。
ドン・チードルとアダム・サンドラーは歯科大学の同級生でルームメイトだった。同じ街に彼が住んでるのがわかって気になってアダム・サンドラーの住んでるところをつきとめて、俺だよ俺、ルームメイトだった俺っていうんだけど、アダム・サンドラーはなんだかよそよそしい。
覚えてないのか、知らないふりをしているのかよくわからないけど、ドン・チードルが知ってる彼とは変わってしまっています。まあ、そんで二人の再会と交流が始まって、過去になにがあったのか、これからどうなるのかが描かれます。
アダム・サンドラーは一人暮らしで家ではテレビゲーム(ワンダと巨像)に興じ、キッチンのリフォームをしてすごし、古いレコードあさりをやったり昔のコメディ映画を見たり飲み歩いたりとか、大学生みたいな生活をしています。
家族の話題になると、突如ブチギレて暴力的になって暴れて、おれに家族はいないぞ、お前はやつらの手先かとか意味不明なことを言って激昂。ドン・チードルは戸惑ってしまう。
アダム・サンドラーには家族がいたんすよ。歯科医で嫁と子供がいてという暮らしだったけど、嫁と子供が乗った飛行機が911のテロでテロリストにのっとられた飛行機で、一瞬にして家族全員を失ってしまった。
その精神的なショックによって家族の記憶を思い出さないようにして生きていたのだった。心を閉じることだけが、彼をかろうじてこの世にとどまらせていた。そういう感じで、設定はよくわかるんだけど、この話がどう着地するのか、何を描きたいのかがよくわからないまま映画が終わってしまいます。
ドン・チードルとアダム・サンドラーの交流を描きたいのか、アダム・サンドラーの心の癒やしを描きたいのか、はたまた癒やしなんてものはないという絶望を描きたいのか、誰もが心を閉じて生きているといいたいのか、なんなのかよくわからない。どれも描けてない。
アダム・サンドラーは限界をむかえて、銃を持ち出し弾がないので、路上で車に向かって強盗のマネごとをして警官に撃ち殺されようとする。
亡くなった妻の両親とよくわからない裁判になったりもしして、精神状態は悪いし人生ズタボロ状態。それが何かで持ち直すとか悲劇的な最後になるとか、そういうのが全然描かれない。ただ引っ越しして終わり。
最後、ドン・チードルは雰囲気悪くなってた嫁となぜか和解し、アダム・サンドラーに頭のいかれた女をくっつけようとして、にっこりほんわかいいことしたなあみたいな顔します。まったくわからない。
アダム・サンドラーがキッチンのリフォームを何度もやってたのは、嫁との最後の電話での会話がキッチンのリフォームのことだったからでした。妻がキッチンのリフォームのことを言い出したのを、いらついて怒鳴って電話切ったのが最後の会話。
それを悔いてんの。それもどうかと思ったけどね。家族を失った悲しみでアダム・サンドラーがおかしくなってたわけではなく、家族にひどい態度をとったという後悔に苛まれてたのが理由だった。自分の問題なんすよ。
心を閉じてたのは、悲しみが原因ではなく、自己嫌悪。こういう設定なら、そこをもっと深堀りした物語にしてほしかったです。