オッペンハイマーの若い研究者時代、第二次世界大戦でアメリカのマンハッタン計画で原子爆弾を開発して成功する時代、広島、長崎に投下されて、その後の聴聞会で追及される時代とけっこう長いスパンでオッペンハイマーを描く。
原爆開発のことだけでなく共産主義の活動をやってて、スパイと疑われたりとか、フローレンス・ピューとの腐れ縁ただれた肉体関係とか、エミリー・ブラントとの結婚とか同僚の妻との浮気とか、そういう女関係も描かれます。
このオッペンハイマーパートがカラー映像。それでちょくちょくモノクロ映像のパートがはさまれて、こっちの白黒のほうはロバート・ダウニー・Jr演じるルイス・ストローズっていう政治家を描くパートです。
ぜんぜん知らない人で、なんでこの人の話をこんなにやるのかなって感じでとまどった。
ストローズっていうのは、オッペンハイマーを研究所所長に抜擢した人なんすけど、のちに原爆から水爆へ核兵器開発を推進していくうえで、反対するオッペンハイマーが邪魔で失墜させようと策略をめぐらせたやつって感じですか。
よく知らんけど。それを私怨にもとづいてやってたっていうのを、ミステリー映画っぽい感じで最後に明かしてました。科学者になんか恨みがあるみたいな感じ。
オッペンハイマー、ストローズ、二人の主役がいるみたいになってんの。だからこんなに上映時間が長くなってる。180分もある。モノクロのストローズパートを全部切ったらもっと短い映画になるのに、なんでこんなことしたのかな。
ストローズをこんなに長くもう一人の主役のように描いたというところが、この映画の重要なポイントなのかもしれない。でも、見てるこっちはいらんなとしか。
モーツァルトにたいするサリエリ、そんな感じをイメージして作ったのかな?二人の人物の対立を描くことがノーラン映画では多いから今回もそういうつもりだったのか。インソムニア、プレステージ、ダークナイトとか対立の映画ですよね。
オッペンハイマーだけに焦点をあてて作ってほしかったよ。
ストローズがオッペンハイマーを失墜させようとしたのは、昔、こけにされたことを根に持って、その復讐をしようとしてたからで、それをオッペンハイマーの奥さんのエミリー・ブラントが名探偵で看破。
ぜってえあいつがやってる、黒幕だ!わたしたち最後まで戦うのよ!って、やる気のないオッピーを鼓舞。自分たちに不利に仕組まれた聴聞会をがんばって乗り切るみたいな。そしてストローズのたくらみがラミ・マレックの証言で明るみにみたいな。
なんか変なミステリー小説みたいな展開のために、ストローズパートがあるように思えて、これはいらないなって感じでした。
アインシュタインも出てくる。最後に池のところでオッピーとしていた会話の内容が明かされるんだけど、これもなあ、ストローズはオッペンハイマーが自分のことをけなすようなことを話してたに違いないと思ってたんだけど、
実際は二人はストローズのことなんか眼中になく、ぜんぜん違うこと話してたってわかる。会話の内容わかったところで、おお~!とはならんのだけど。
ほとんが会話劇で、誰かと誰かがしゃべってるだけなんすけど、劇伴がすごいうるさく鳴ってて、感動や緊張をめちゃくちゃ煽ってくる。いや、ここ音楽いらんやろっていうようなシーンでも、すんごい大げさな音楽が大音量で流れてきて、うるさいぐらいです。
ここ見せ場です!盛り上がって参りましょーみたいな。映像的には、うーん、そうかあ?って感じの地味な映像なんだけど、音楽はドラマチックさを押し付けてくる。
なんかこのうるさい劇伴がずっと鳴ってるというのは、原爆実験のところで爆発すると無音になるんだけど、その無音演出を際立たせるためで、わざとなのはわかるんだけど、あまりにも作為的すぎるというか、わざとらしすぎるというかね。
わざとらしいというか、ベタすぎるっていう演出はけっこう多いです。聴聞会でオッペンハイマーがフローレンス・ピューとの関係を聞かれて、答えるときにカメラがスーッとスライドしてきたら、オッペンハイマーが全裸になってて、
そこに全裸のフローレンス・ピューがまたがって、後ろの奥さんを見てるみたいなイメージショットとかさ。いやー、ベタすぎてコントに見えて笑っちゃうんすけど。フローレンス・ピューとの情事のシーンも、なんかコントみたいで笑っちゃう。作為がすぎるので。
フローレンス・ピューがこの本のここ読んでってまたがりながら言ってきてオッピーが読み上げるその一節はのちのオッピーの運命を予言するような文言だったーって映画のシーンとしては面白いけど、なにしてんの?ってちょっと笑っちゃう。
ゲイリー・オールドマン演じるトルーマン大統領のマンガみたいな演技とかさ。オッペンハイマーが核兵器開発をやめるように提言して、自分の手が血にまみれてるような気がするって言ったのをきいて
広島や長崎の人が原爆を作った人のこと考えるか、恨まれるのは落とさせた自分だってゲイリー・オールドマンが不機嫌になるシーンのゲイリー・オールドマンのマンガみたいなわかりやすい演技。
クリストファー・ノーラン映画って感じがすごくしたなあ。わかりやすく、観客をびっくりさせてやろう、ハラハラドキドキさせてやろう、楽しませてやろうっていうのが、そこかしこにあって、ノーラン映画だなあって。
描かれてる人物がオッペンハイマーで、原爆が出てくるからといってノーランはぜんぜん変わらない。バットマンと同じ感覚で作ってる。
この映画見てさ、ぜんぜん原爆の悲劇を描いてないとか、広島や長崎の惨状を描いてないとか感じる人もいると思うけど、そういう映画じゃないんだろね、もともと。
そういうことじゃないんだろ、監督の興味は。オッペンハイマーという人物のわけのわからなさをやりたかったんじゃないんすか。置かれた立場にしろ、彼自身の気質にしろ、なに考えてるのかよくわからない。
その人物を描くのがやりたかった。題材がたまたまオッペンハイマーで、オッペンハイマーを描くなら原爆開発のことは取り上げるひとつの要素だけど、原爆の悲劇がやりたいわけじゃない。
歴史上の人物の伝記映画で、いかに観客をひきつけるシーンを作れるか、ハラハラドキドキのシーンを作れるか。退屈になりがちな伝記映画で、退屈にならないような演出ができるか。
そういうことなんじゃないのかな。
原爆実験のところなんかとくにそう。わくわくどきどき実験開始~、俺たちやれる、ぜったい成功するぜって気持ちが高ぶっていって、爆発がおきて無音になって、その後、やった~、成功だ~って拍手喝采でみんなが大騒ぎするみたいな。
すんごい感情が盛り上がる、なんか心躍るシーンとして作ってるし。
盛り上がって高揚してる人たちを描くことによって、観客は逆にぞっとするみたいな効果を狙ってるんだって言うこともできるけど、なんかそういうんでもないと思うよ。
ダークナイトの強盗シーンとか、インターステラーの脱出シーンとかと同じ感覚で、緊迫したミッションとして原爆実験をやってるだけ。いつものノーランでしかないような。
題材的になにか思いや意図が、特別ななにかがあるに違いないと思ってしまうけど、そんなことはなくノーランらしいいつものノーラン映画でしかない。
そういうことじゃないんすかね。
自分としてはやっぱ長い。モノクロのシーンいらない。カラーの部分だけつなげたのを見たい。やっぱり白黒のところが余計にしか感じないんだよなあ。
ロバート・ダウニーJrが池のところでオッペンハイマーとアインシュタインが話してて、話がすんで歩いてきたアインシュタインが自分のことを無視したのを気にしてたけど、結局、アインシュタインはオッピーとの会話のことで頭いっぱいで周囲がぜんぜん見えてなかったから意図的に無視したように見えただけでした~ってことですよね?
アインシュタインもオッペンハイマーも他人の気持ちはぜんぜんわからない人だから、意図せず失礼な態度をとるっていうだけの話じゃないの?
私怨を燃やして動いてたストローズだけど、ただの勘違いだった~っていうのを、ストローズのことを事細かに描いて冒頭と最後にわざわざ謎と解答を配置してまでやる必要あるのか疑問です。安っぽいミステリー小説みたい。
オッペンハイマーはなに考えてるのかわからない。
オッペンハイマーは後悔していたとかなんとか言われてるみたいだけど、そうなんすかね?ってこの映画を見ると思っちゃったけど。
はっきりと後悔してる、はっきりと自分の罪を感じているとはあんまり思えなかったけど。
人間は多面的で簡単に理解できるものではないっていうのが現実であるならば、そのとおりにオッペンハイマーも単純にこうだって言えるような人ではなく、彼の心境は複雑で単純化して見せられるようなもんじゃないっていうふうに描かれてたような。
後悔してるようでもあり、自分がやったことの結果に実感がわかないようでもあり、見て見ぬふりしようとしてるようでもあり、あまり気にしてないようでもあり。
オッペンハイマーってよくわからん人だなとしか。
もっと言えばオッペンハイマーって優秀だったのかどうかも疑問に思うような描き方してたような。理論は得意だけど実験は不得意。いろんな科学者を集めて束ねるプロジェクトリーダーとしての手腕はあるけど、学者としてはそんなでもないみたいな。
需要な理論を思いついたり、実験がうまかったりするのは別の科学者たちで、オッペンハイマーは浮気してセックスしてるだけ。
でも原爆の父とかいわれて象徴的な存在になってるし。なんかよくわからない人だ。なんだろ、アップルのスティーブ・ジョブズっぽさを少し感じた。本人はなんにもできないけど、強烈なビジョンを見ることができて、それを実現するためのチーム集めに長けている人みたいな。
でもこういう映画が今のメインストリームなのが、ほんと時代が変わったんだなって思う。ノーランの映画ってなんか変というかちょっと一風変わってるというか、好事家が熱狂するカルト的人気作家の映画みたいなのに、
すごいヒットするし、クリストファー・ノーラン映画こそが映画ですみたいなでかい顔して映画のど真ん中に鎮座してる。その違和感というか、時代がノーランによって作られたっていうかね。
ネットでの考察も含めての映画っていう時代が来たのもノーランと合致したのかもしれない。単純に悪だ善だ言えませんよねみたいなことやるの好きじゃないですか、この監督。ややこしさ、単純に割り切れない難しさみたいな物語をやるのが好きな監督。
なんかわけわからんなあっていうのを、すんごい盛り上がる音楽がんがん流してなにかありそな感じで盛り上げていくのがうまい。
わけがわからないことをわけがわからないようにおもしろく撮るのがクリストファー・ノーラン監督。気持ちは高揚させられるけど、なんだかモヤモヤしちゃうみたいな。
そういう鑑賞後の後味を残すから、あとであれこれ語りたい人にはかっこうの大ご馳走になる。
わかりやすいシーンはほんとマンガみたいにわかりやすく作ってる。原爆を落とすっていう会議かなんかのシーンとかすごくわかりやすく撮ってたし。
マット・デイモンは軍の人でしたっけ。莫大な予算使って実験しましたで終わるわけにいかないから成果として原爆をどっかに投下しなきゃならない。ドイツは降伏したけど日本は降伏しない。じゃあ日本だって。
上陸作戦をやれば被害は甚大。原爆落として新兵器の原爆の威力を見せつければ日本は降伏するだろう。爆弾落とすほうがはるかにコスパがいい。
政府の予算消化の理由付け、軍事的意味、どっちにしろ原爆投下はメリットがある。それで候補地をリストアップして、京都は除外したよ、あそこはわたしも新婚旅行で行ったけどすばらしい町だからって政治家かなんかが言ってた。
そんぐらいの軽い感じでというか、簡単なわかりやすいロジックというか、損得勘定で原爆投下は決まったよみたいなのをわかりやすく見せてくれる。
わかりやすい部分はとことんわかりやすいのに、わかりにくい感じがするというか、わかりにくく見せるというか。
そこらじゅうに餌がまかれてるというか、調べるのが好きな人にはいくらでもネタになることがちりばめられてる。
ここに出てくる人はこういう人であれとこれがこういう意味で配置されててとか、事実はこうだけど、映画ではこうなってるからノーランの意図がどうのこうのみたいなのがずっとやれる。
ほじくって楽しもうとしたらいくらでも遊べそう。
そういうの映画にもとめてない、映画って見てるあいだ楽しくておもしろかったなって最後に余韻が少しあるぐらいでいいっていう人にとっては、苦痛な映画かも。
伝記映画はほとんど退屈でつまらないものになりがちなのに、ここまでおもしろそうに煽りまくってなにかすごいもの見たっていう気分にさせてくれる。そのクリストファー・ノーランの手腕はさすがです。