監督はポール・ヴァーホーヴェン。いつものヴァーホーベン節が炸裂してる映画だったなあ。自分の欲望を満たすためには手段を選ばない主人公を描くのがお得意。この映画のベネデッタもそう。
イエス・キリストと結婚する夢を見たとか、聖痕が体にあらわれたとか、別人の声で神の言葉を喋るとか、仮死状態になるとか数々の奇蹟を見せるベネデッタ。
その行動のもとにあるのは、自己愛と女性愛だった。ベネデッタの奇蹟がほんとうか嘘なのかははっきりしないように描かれてます。まあでもこれはトリックだなっていうのは感じる。
聖痕が手と脇腹にあらわれたということで、認定するかどうか吟味されるんだけど、今までの聖痕の例ではイエスが茨の冠をしていた額にも傷が現れてたからこれはあやしいと疑問をもたれるんすよ。それで部屋出てすぐにベネデッタが倒れて額が傷だらけになって、額にも聖痕ができる。
足元には割れたガラス片が散らばっている……。あやしすぎるでしょ。修道院長の娘が疑惑を深めるんだけど、決定的な瞬間は目撃できてない。
でも、本当なのか嘘なのかはどうでも良くなってきます。とにかくベネデッタに迷いがない。やりたい放題です。そして出世もします。修道院長に就任。個室をゲットでお気に入りの女の子とお楽しみ。
聖母像を削って大人のおもちゃ化するとかやりすぎだろう。うわー、えぐいっていう描写がときどきあるのが、ヴァーホーベン映画。恋人というか愛人というか、お気に入りの子は父親に虐待されて修道院に逃げ込んできた女の子なんすけど、夜、就寝する前に一緒に便器でならんでウンコして打ち解ける。
いきなりツレウンとか笑っちゃう。ブリブリっていう音つき。ヴァーホーベン監督は排泄というか人間の生理現象を見せるシーンがうまいですね。うまいっていうか、なんだろな。人間性はそこにあるぞっていうのが監督の実感なのかも。
ベネデッタに疑いをもって告発する修道女もいるんだけど逆に追い込まれてしまう。ベネデッタの奇蹟を宣伝に使おうと司教でしたっけ、お偉いさんが皮算用してるので、ベネデッタに歯向かうやつは逆にやられてしまう。
司教はベネデッタの奇蹟が本当か嘘かはどうでもいい。奇蹟をおこす修道女がいるということで、巡礼者が集まり、お布施が集まり、教会が潤って自分も出世できるからベネデッタの人気を利用してやろうってことですね。
こういう権力者の思惑と一致している悪党を、迂闊に真正面から告発なんかしたらダメだよなあ。完全に潰される。
権力を一個人が告発する怖さ。まあ、それであやしいということで調べがすすんで、恋人の拷問での自白なんかもあって、ベネデッタは火あぶりの刑に処されることになる。
悪女の命運もここまでかと思ったんだけど、お得意の聖痕芝居で民衆を扇動。暴動をおこしてその隙に逃げおおせてしまいます。悪は勝つ。これで終わりかと思いきや、ベネデッタは修道院に戻ることにする。
自分の居場所は修道院。わたしはイエス様とともにっていう思いは一貫して変わらない。ほんとやばいやつだった。