最後に支配人本人らしき人が出てきて、猫背で喋りも特徴ある感じだったので、ああ、本人に似せた演技してたんだって納得。
井浦新も喋り方特徴的だったですね。若松孝二監督ってあんな喋り方してたんだ。
でもさ、実在の人物を映画で演じるときに、顔や喋り方を本人に似せようとするじゃないすか。あれ、あんまり好きじゃないんですよねえ。
別にモノマネが見たいわけじゃないから。
だから東出昌大さんが猫背でやる必要はないと思うし、井浦新さんもああいう喋り方をしなくてもいいと思うんすけどねえ。
そっくりさんショーが見たいわけじゃないから。
時代は1980年代、映画斜陽時代で、家庭用ビデオが登場してきたぐらいの時代です。若松孝二監督は時代に逆行するようにミニシアター「シネマスコーレ」を名古屋に作る。
その支配人として雇われたのが東出昌大。もともと映画業界にいたけど、結婚を機にビデオカメラのセールスマンやってたけど、映画熱はさめてなくて支配人を引き受ける。
やっぱ映画が好きなんだってことで。
映画館は名画座っていうやつです。過去の名作を上映するやつ。いい映画をやるんだけど、客足は伸びません。まあ、そうですよねえ。
過去の名作よりも、現在の駄作のほうが人を呼べるもんです。
まあそれで苦肉の策で3週ピンク映画やって1週名画座やるということでなんとかやりくりします。困ったときは、エロに頼れってことかあ。
その映画館でバイトする学生の芋生悠、監督に弟子入りする予備校生の杉田雷麟ら、若者たちのドラマもあります。
芋生悠は映画を撮りたいけど撮れない。男社会の映画業界で女であり、才能もないしでちょっと悩んでます。それに在日であることにも。
杉田雷麟は映画監督志望の予備校生。大学に受かったら東京に出て若松孝二プロで映画監督修行することに。助監督やるんだけど、なかなかうまくできなくて挫折しそうになる。
映画に魅せられた映画好きが、それぞれのやり方、それぞれのめぐり合わせで映画にかかわっていくのを見せていく。
杉田雷麟は河合塾が入塾イベントで上映する30分の映画を初監督することになるんだけど、若松孝二監督にダメ出しされまくって、自分のやりたいように撮影はまったくできない。
監督がそんなんじゃダメダメって言って、全部やっちゃうんすよ。
赤塚不二夫や竹中直人がカメオ出演。映画は完成してお披露目もするんだけど、杉田雷麟はまったく納得はしていない。
挫折。映画って簡単じゃないんだよなあって言ってましたけど、ほんと簡単じゃないでしょうね。知らんけど。
映画を見るのが好きな人と、映画を作るのが好きな人は似てるようでまったく違う人種だからなあ。
大抵の映画を見るのが好きな人は、映画作りの難しさを知らず、想像もできずですからね。現場でどんなことやってるかまったく知らずに、脚本がどうとか、カメラがどうとか、編集が~とか簡単に言っちゃうのが、普通の映画好き。
映画作るのが好き、映画を作りたいっていう人は、そういう現場のゴタゴタや熱気とかが好きだから映画を作る、作りたいんだろね。映画を作る人にとっての映画ってのは、完成した映画じゃなくて、撮影してる現場が映画。
東出昌大は、杉田雷麟の挫折を見てなにか思ったのか、ピンクやめていいと思う映画だけでやりましょうと提案する。今、ミニシアターで個性的な作り手の映画を見たいという波がきてると。
ああ、そういうミニシアターのブームってありましたね。自分が若い時にちょうどそういう流行があって、小さな映画館でいろいろ見たなあって懐かしくなったね。
映画館やるんだったら、やっぱり自分がかけたいと思う映画を上映しようっていう機運が高まってミニシアターブームっておきたのかなあとか思ったな。
映画館を存続するために、好きでもないピンク映画をやるのは、なんか違うと。昔の才能ある新人監督の実験場としてのピンク映画ならまだしも、今のAVとかわらないピンクは好きになれないしということで
東出昌大は東出昌大のやり方で映画に向き合っていく。
若松監督は若松監督として映画を作り続けていった。シネマスコーレで若松孝二追悼上映会をやって、会場にはたくさんのお客さんが。そこに監督も来ていたに違いないみたいな終わり方でした。
映画作りが好きな人の気持ちはわからないけど、なんか映画ってすごい魔力があるなあって感じですかねえ。
エンドロールで河合塾の映画が流れるんすよ。あ、ほんとにあったんだってけっこうびっくりしました。赤塚不二夫が出てくるシーンと、竹中直人が出てくるシーン。
あの時代の予備校って金もってたんだなあ。