家族といっても、母親のことですね。奔放な母親。芸術家肌の母親。母親の存在が大きい。母のことを描く時間がものすごく長かったなあ。
ポール・ダノが父親でエンジニア。ミシェル・ウィリアムズが母親でピアニスト。小さい子供のときに両親に連れられて映画館で見た「地上最大のショウ」の列車衝突シーンの衝撃が忘れられなくなったスピルバーグ少年。
いや、映画ではスピルバーグではなくて、フェイブルマンっていう名字でしたね。おもちゃの列車をプレゼントでもらって、それを映画と同じようにクラッシュさせる。列車をクラッシュさせたいという衝動をおさえられないスピルバーグ少年。
毎回クラッシュさせたらお父さん修理するのが大変だから、カメラでクラッシュを撮ってそれを見たらいいわよってお母さんに言われてそうします。8ミリカメラで撮って編集で迫力あるようなクラッシュにしてて、すでにこの時点で
エンタメ映画を作る才能の片鱗をのぞかせる。それで映画作りに夢中になってどんどん大掛かりなものを作っていく。最後には戦争映画とか撮ってました。何十人も人使って、血糊とかうまく仕掛けも作ってそれらしいものができあがってる。
家族ドラマのほうはというと、ポール・ダノの仕事の関係でアリゾナにお引越しすることに。フェイブルマン一家と仲良しでもはや親戚のおじさんポジションになってるセス・ローゲンがいるんだけど、セス・ローゲンはポール・ダノの助手で親友。
アリゾナにはポール・ダノだけいく予定だったけど、ミシェル・ウィリアムズがどうしてもセス・ローゲンも一緒に連れて行くべきだってごねた結果、セス・ローゲンも一緒にアリゾナに行くことに。
なんかこの時点であやしいなって見てて思いますよね。こりゃミシェル・ウィリアムズの愛人がセス・ローゲンなんだろって。これ二人はできてるし、もしかしてポール・ダノも知ってて、公認の仲なのかとか思ったけどそこまでではなかった。
どうみても愛人にしか見えなくて、愛人と一緒に生活する進歩的な人たちなんだなあって思ったけど、違ってましたね。みんなにぶいだけだった。
そんで家族でキャンプに出かけて、それをスピルバーグ少年が8ミリカメラで撮影してて楽しいなって、家族みんなはしゃいでたんだけど、ミシェル・ウィリアムズの母親が亡くなってミシェル・ウィリアムズは落ち込んで精神不安定になる。
ミシェル・ウィリアムズをはげますために、キャンプのときの映像を編集して家族映画作ってくれってポール・ダノに頼まれてスピルバーグ少年は編集にとりかかる。
そしたらおや?これは?うん?みたいなシーンをたくさん見つけてしまって、ミシェル・ウィリアムズとセス・ローゲンがただならぬ関係であることに気がついてしまいます。
撮ってるときは全体をぼんやり見てるから気がつかなかったけど、編集段階でじっくり見返すと、ミシェル・ウィリアムズとセス・ローゲンの距離が近すぎたり、さりげなく手をつないだり、キスしてたりとか、ミシェル・ウィリアムズの視線の熱っぽさとか
そういうのが見えてくる。あそこでも、ここでも、二人の関係が親密であることを映像が物語っている。カメラは嘘つかない。
それでスピルバーグ少年は母親にたいして冷たい態度をとるようになります。いや、あれで他の家族全員気がついてないのおかしいだろみたいな感じなんすけどね。
息子の冷たさの理由がわからず、どうしてなのってつめよってくるミシェル・ウィリアムズに、フィルムを見せる。たぶんセス・ローゲンとミシェル・ウィリアムズが親密になってる場面だけどをつなぎあわせた、母親の浮気映像特集バーションのキャンプフィルムです。
なんちゅうもん作ってるんだ。
ここでなんかもめたりなんかして家族の崩壊とかなるんかなって思ったけどならない。誰にも言わないよって心に秘めとくスピルバーグ少年。他の家族はみんなにぶいからなのか、自分のことにしか興味ないのか、気が付きません。
ポール・ダノがまた転職で家族はカリフォルニアに引っ越すことになる。IBMだっけ。当時のIBMといえば最先端の超一流企業ですよねえ。なんかポール・ダノが天才らしくて、コンピューター関係のエンジニアとして優秀なので雇われたらしい。
今度はセス・ローゲンは一緒に行けません。アリゾナに残る。
スピルバーグ少年は母親の真実の姿を偶然にもとらえてしまって、もう映画作りは懲り懲りだって思ってカメラを処分する。でもセス・ローゲンは餞別だっていって、欲しかったカメラをプレゼントしてくれる。
受け取らないと突き返すけど、なんだかんだと言われて、じゃあお金はらうからもらうってもらったけど、セス・ローゲンはお金をスピルバーグ少年のポケットにそっと返してて去っていく。
粋なはからいしたいい感じ風だったけど、お母さんとのこと認めてくれよって賄賂やったみたいでなんだかなあって。
それでカリフォルニアで新生活にはいったポール・ダノたちなんすけど、家族関係はぎくしゃくしていく。ミシェル・ウィリアムズはふさぎこんだままで、猿をペットで飼いだしたりする。
スピルバーグ少年は学校でユダヤ人で体も小さくてどんくさいということで目をつけられていじめられる。いじめっ子はマンガでよくでてくる運動できるタイプのやつと、その子分みたいな口が達者なやつ。ジャイアンとスネ夫のコンビみたいなやつ。
この学園パートはマンガみたいだ。すごい戯画化されてるいじめっ子といじめられっ子コントが始まる。
母親はおかしいし、父親は仕事で忙しいし、学校はいじめだし、なんもいいことないよってなるかと思いきや、なぜか彼女ができるスピルバーグ少年。
信心深いけど、積極的な彼女ができてしまう。それでなぜか楽しい学園生活を満喫してしまうスピルバーグ少年。なんだなんだ?あの彼女なんなんだろう。スピルバーグ少年がユダヤ教徒で割礼してるから興味もったんかな?
それで学校行事でみんなでビーチで遊ぶ日みたいなのがあって、それの撮影係が募集されてて、それやりなよ、うちのお父さんのカメラ借りてあげるからって彼女から言われて、乗り気じゃないけど、すごいカメラだし、撮ってみたいから撮影係をやります。
そしてプロムパーティーをむかえる。卒業後は映画関係の仕事にすすむつもり、君も一緒に来てくれないかみたいなことを彼女に言うんだけど、わたしテキサスの大学だし、いきなりそんなこと言われてもってふられる。
そうそう、ポール・ダノとミシェル・ウィリアムズが離婚することになってたんだっけ。ミシェル・ウィリアムズはアリゾナのセス・ローゲンのとこに行っちゃう。妹たちも母親についていくんだっけ。
両親が離婚するっていうことも、彼女にとってはマイナス要素みたいでふられちゃう。熱心なカトリックかなんかだったから、離婚はダメなんだっけ?
まあ、最初から高校生活をエンジョイするための相手としてスピルバーグ少年を選んだだけで、将来とかはまったく別だと思ってたんだろう。
はああ、プロムの日に破局かよってしょんぼりスピルバーグ少年。そこでビーチで遊ぶ日の映像を上映してみんなで見ることになります。
スピルバーグ少年にとってはどうでもいい撮影で、てきとうに作ったんだと思うんだけど、ちゃんと笑えるシーンを作ってたりして、会場は大ウケ。
いじめっ子のスネ夫が人の飲み物を盗むシーンや、女の子から相手にされないシーンとかがあってみんな爆笑。ジャイアンがビーチバレーで活躍したり、かけっこで勝ってゴールテープをきるシーンを荘厳なBGMで演出したりして、
ジャイアンがすげえかっこいいいかした男に見えるような演出がされてて、それを見た女の子たちが大興奮。ちょっと険悪なムードになってたジャイアンの彼女は、ぽーっとなってジャイアンを熱い目で見ます。
スピルバーグ少年をふった彼女もなんか興奮してスピルバーグ少年のもとに走ってくるんだけど、もうスピルバーグ少年はどこかへ去っていた。
彼女にふられて落ち込んでるスピルバーグ少年のもとに、ジャイアンがやってきて怒りをぶつけてくる。どうしてあんなもの作った。あそこにうつってるおれはおれじゃない。あれにうつってるのは、黄金にかがやくおれじゃないなにかで
ほんとうのおれは一切うつってない。どうしてだ、いじめの復讐のつもりか?ってつっかかってくる。スピルバーグ少年は別にそんな深い意味はないよって弁解するけど、ジャイアンは納得いかない。
あんなのは俺じゃない、って泣き出す。なんかよくわからんけど、映画にうつってる美化された自分と現実の自分の落差で惨めな気分になったってことなのかな。
そこにスネ夫がやってきて、よくもおれをこけにしたなって恨み節で殴りかかってくるけど、ジャイアンが殴ってスネ夫が逃げ出す。
自分が作った映像によって人の感情をここまでゆさぶるなんてって映画の真の力をここで実感したんだろね。
それにカメラは真実をうつすこともあれば、嘘をうつすこともあるということも。母親のときは真実がうつっていた。ジャイアンのときは嘘がうつっていた。虚実ないまぜ、そして人の心を揺さぶるものが映画だみたいな。
まあそれでスピルバーグ少年はポール・ダノと一緒に住んでて大学行ってるんだけど、やっぱり映画関係の仕事をあきらめられなくて、ポール・ダノも映画の道に行きなさいってやっと応援してくれて、あるスタジオの助手の助手の助手の仕事をはじめる。
それで上司が、君は映画がやりたいんだって、だったらこの監督に会ったらいいってオフィスに案内される。それがジョン・フォード監督。デヴィッド・リンチが演じてた。
5分だけ面会だって話してもらえる。壁にかかってる写真があって、説明してみろといわれて、馬にのった男がどこかへいこうと、違う違う違う、地平線はどこにある?下です、
じゃあこっちの写真はって言われてまた説明しようとしたら、違う違う、地平線はどこにある?上です、そうだ、地平線が下にあるとおもしろい映像になる、地平線が上にあってもおもしろい映像になる、
地平線が真ん中にあるとつまらん映像になる、それだけだ、じゃあ帰れって言われてオフィスを出たスピルバーグ少年は偉大な監督から映画の真髄を授けられたと興奮して歩いていくのだった、おしまい。
地平線の話は、ちょうどいいものっておもしろくない、なにか偏ったものがおもしろいっていうことなんすかね。
うーん、どうなんだろ、これは。スピルバーグ監督作品は映像がいいから見れてしまうのだ。映像がいいとは意識させないいい映像だからなあ。お話はどうなんだろね。家族の話は母親が自由奔放ですっていうだけでうまいドラマがあるわけでもなく、
映画のことに関しては最後のほうにつめこんできて、いちおうやりましたよって感じだったし。物語としてはいまいちだったかな。
やっぱりスピルバーグは映像の人なんだなあという認識を強くした映画でした。列車の衝突シーンの衝撃が原点だと思えば、当然そうなるかって感じかな。
「地上最大のショウ」ってあんな列車衝突のシーンがある映画だとは知らなかった。これも題名は名作映画として知ってるけど見たことない映画の一本。てっきりサーカスの話で地味な映画だと思ってたんだけど、あんな迫力ある映画だったんだ。
今度見てみよう。あとジョン・フォード監督作品も見よう見ようと思って見てないなあ。「駅馬車」だっけ?はやく見ないとね、だんだん体力なくなってきてるから。
あもしろいつまらない関係なく、長時間の動画を見てるのがつらくなってきてるから、2時間とか3時間とかある映画がほんとつらい。